上山城
上山城(かみのやまじょう)は、山形県上山市にあった日本の城で別名は月岡城。
戦国時代は最上氏の最南端の城塞であり、米沢の伊達氏や上杉氏との攻防の舞台となった。江戸時代は上山藩の藩庁が置かれました。城跡は上山市の史跡に指定されています。
現在の模擬天守は、1982年(昭和57年)に再建されました。
Contents
上山城の見どころ

最上義光の城だった上山城は、慶長5年(1600年)、北の関ヶ原とも称される慶長出羽合戦の舞台の一つとなりました。
上杉・直江側の率いる4000人の軍勢が上山城を攻めました。守将の里見民部の城兵はわずか500人だったが、城門を開けて打って出て上杉軍と城門付近で戦闘が繰り広げました。
上杉方大将の本村親盛が討ち取られ、将兵の多くも討たれたとされています。

上山城には遺構はあまり残されていませんが、堀の一部と土塁の一部が今でも残ります。
城郭内には建築物は残りませんが、薬医門形式の城門が南陽市に、籾蔵が上山市内に移築されています。
城郭跡には模擬天守と城門が建てられており、上山市のシンボルとなっており、館内は郷土資料館になっています。
天守から眺める山脈は雄大です。

模擬天守

堀跡
登城レポート

ポイント
- 遺構はあまり残っていないので遺構ポイント低い
- 慶長出羽合戦の舞台になったので歴史ポイントは及第点
- 山形新幹線「かみのやま温泉駅」からも近いため、アクセスポイントは高い
平均:2.16
合計:13.0
- 遺構:遺構の多さ、貴重度
- アクセス(目安):新幹線が最寄り→5、駅が近い→4、駅から歩いて行ける距離→3、駅から遠いがバスが走っている→2、車が無いと行けない→1
- 満足度→攻城のトータル総評
- 歴史→時代に影響を与えた歴史の舞台→5、有名な武将や合戦があった城→4
- 整備:トイレの有無、城内の解説板、パンフレットのクオリティの評価
- 城郭範囲:観覧範囲の広さと、遺構の残存度。見どころの多さにも直結
※全ての城にそれぞれの魅力があるのは前提での主観的評価になります。
上山城の御城印
※スタンプ設置場所や御城印販売所の場所、営業時間は最新情報をご確認ください。
■御城印販売
・上山城郷土資料館
営業時間 9:00~16:45 ※木曜休館




上山城 周辺の天気
| 別名 | 月岡城 |
|---|---|
| 城郭構造 | 平山城 |
| 天守構造 | なし (望楼型3層5階、鉄筋コンクリート造模擬)1982年 |
| 築城主 | 武衛義忠 |
| 築城年 | 1535年 |
| 主な改修者 | 松平(能見)重忠 |
| 主な城主 | 上山氏、小簗川氏、藤井松平氏ほか |
| 廃城年 | 1873年 |
| 遺構 | 石垣、土塁、堀 |
| 指定文化財 | 市指定史跡 |
| 再建造物 | 模擬天守 |
写真で見る上山城
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アクセス
■公共交通機関
・JR奥羽本線「かみのやま温泉駅」徒歩10分
・JR山形新幹線「かみのやま温泉駅」徒歩10分
■車・バイク
・東北中央自動車道「山形上山IC」より車で約12分
・東北中央自動車道「かみのやま温泉IC」より車で約13分
■駐車場
・無料専用駐車場有り(50台)
上山城について
天文4年(1535年)上山義房の子武衛義忠が高楯城を伊達家より奪還した後、天神森(現在の月岡公園)に平山城となる上山城を築城、周辺を城下町とした。以後城主は武衛義節、上山満兼と続き、最上氏の城であった。
天正2年(1574年)に天正最上の乱が発生。当初、城主の上山満兼は最上義光に加担したものの、最上義守側についた伊達軍が南から上山の樽下に進軍すると、義光を裏切り、伊達軍の通過を許した。その後、満兼は最上八楯の一員として、最上義光と和議を結ぶものの、確執は残ることとなる。
天正8年(1580年)最上義光は里見民部を寝返らせて上山城を攻めさせ、城主の上山満兼は討死した。新たに里見民部が上山城主となり、最上義光の統治下となった。
慶長5年(1600年)慶長出羽合戦の舞台の一つとなった。9月17日、上杉・直江側の武将篠井康信、横田旨俊らが率いる4000人の軍勢が上山城を攻めた。守将の里見民部の城兵はわずか500人だったが、城門を開けて打って出て、上杉軍と城門付近で戦闘が繰り広げられた。
突如、上杉軍の背後から最上軍が襲いかかった。これは、民部が草刈志摩の部隊を城の外に配置し待ち伏せさせ、攻撃させたものであった。背後を襲われた上杉軍は混乱に陥った。上杉方大将の本村親盛が最上勢の坂弥兵衛なる者に討ち取られ、椎名弥七郎をはじめとする将兵の多くが討たれたとされている。
里見民部は上杉軍400人余りの首を最上義光に送ったとされる。掛入石仲中山口から進軍した上杉軍は上山城の戦いで大打撃を受けたため、長谷堂城の戦いの直江本隊に合流することが出来なかった。
慶長出羽合戦後、城主里見民部は最上義光との関係が悪化していった。民部は最上義光の嫡男・最上義康と義光の父子離反を謀るとともに、廃嫡および謀殺に加担したが、慶長8年(1603年)8月16日に自らの危機を察知して一族と共に逃亡した。民部らの逃亡後、上山城には最上義光の五男・上野山義直(最上光広)が入った。
慶長20年(1615年)、幕府より一国一城令が発せられたものの、上山城は破却されずに済んだ。
元和8年(1622年)、最上氏が最上騒動により改易された後、能見松平家の松平重忠が4万石で入り、上山藩を立藩した。その頃の城は、本丸を囲んで一段低く周囲に二の丸があり、外濠が取り巻いていたとされる。
移築建造物
建造物としては、薬医門形式の門が山形県南陽市の旅館「いきかえりの宿 瀧波」に、城内にあった兵糧米保管庫の籾蔵が市内御井戸丁の鈴木家に、それぞれ移築され現存している。
上山城 周辺スポット
かみのやま温泉
もっとも古い湯町地区は昔ながらの温泉情緒を残しているが、新湯地区は近代的なビル建築の旅館が多く、にぎやかで歓楽的です。
市内の湯町、十日町、新湯、河崎、高松、葉山などの温泉街を総称してかみやま温泉と呼び、地区ごとに数多くの温泉があります。
和風旅館から大型ホテルまで20数軒の温泉宿が立ち並びます。
武家屋敷
上山藩の武家屋敷には、森本家、三輪家、山田家、旧曽我部家の四軒が軒を連ねています。三輪家は一般公開され、内部もご覧いただけます。
現存している家屋は、茅葺屋根、鉤型の曲屋で、玄関と通用口とを別にする武家中門造りの建築様式であり、4軒とも約200年前の建造と推定され、屋敷の周りには土塀または土塁が築かれていました。
春雨庵
寛永6年、幕命により上山に配流された沢庵禅師に、ときの城主、土岐山城守頼行は庵を造り与えた。禅師はこの庵を「春雨庵」と名づけました。
現在の建物は原型をその遺跡に復元し、春雨の井、茶室聴雨亭が俤をしのばせている。山形県の重要文化財に指定されています。
浄光寺
湯出山 浄光寺は“奥羽三楽郷”かみのやま温泉を開湯した月秀上人や上山藩主・藤井松平家ゆかりの浄土宗寺院です。
寺院内には江戸時代の名僧・沢庵宗彭(沢庵和尚)が作庭と伝わる庭園があります。
この寺は別名“ガマ寺”ともいい、春になるとどこからともなく数百匹のガマガエルが集まるという不思議な寺でもある。
上山城 周辺宿泊施設

上山城 周辺グルメ
山形県の城を攻める
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