白河小峰城(日本100名城)
JR白河駅の北方約500mに本丸が位置する近世城郭です。阿武隈川の南側に東西に延びる独立丘陵と、丘陵の南方に広がる段丘上を利用して築城されており、東北地方では珍しい総石垣の城として人気があります。
戊辰戦争の際に焼失した御三階櫓は、1991年(平成3年)に復元されました。
Contents
白河小峰城の見どころ

翌慶応4年(1868年)、白河小峰城は戊辰戦争で奥羽越列藩同盟軍と新政府軍との激しい攻防の舞台となりました。
薩摩藩・長州藩を中心とした新政府軍と会津藩・仙台藩を中心とした奥羽越列藩同盟軍の戦いで、新政府軍が同盟軍から小峰城(白河城)を奪い、5月1日 大半を焼失し落城しました(白河口の戦い)

東北地方では貴重な石垣の城で会津若松城・盛岡城と並ぶ東北3名城の白河小峰城。
様々な石垣の積み方を確認でき、特に円を描くような落とし積みの石垣は見事で、見逃すことができません。
さらに、城のシンボルとなる三階櫓と前御門が木造で復元されており、かつての姿が蘇っています。
現在、清水門も復元工事中なので、注目度の高い城です。

同心半円型 石垣

木造復元天守

前御門

桜門跡
登城レポート

ポイント
- JR白河駅の目の前が城跡なのでアクセスが良好
- 城内には歴史館もあり、遺構の説明やパンフレットも充実
- 三階櫓や御前門が復元され、多種な石垣が残るので遺構も良好
- 本丸を中心としたエリア以外は市街地化しているので範囲が狭いので及第点
平均:3.67
合計:22.0
- 遺構:遺構の多さ、貴重度
- アクセス(目安):新幹線が最寄り→5、駅が近い→4、駅から歩いて行ける距離→3、駅から遠いがバスが走っている→2、車が無いと行けない→1
- 満足度→攻城のトータル総評
- 歴史→時代に影響を与えた歴史の舞台→5、有名な武将や合戦があった城→4
- 整備:トイレの有無、城内の解説板、パンフレットのクオリティの評価
- 城郭範囲:観覧範囲の広さと、遺構の残存度。見どころの多さにも直結
※全ての城にそれぞれの魅力があるのは前提での主観的評価になります。
名城スタンプと御城印
※スタンプ設置場所や御城印販売所の場所、営業時間は最新情報をご確認ください。
■日本100名城スタンプ
・小峰城三重櫓
・小峰城歴史館
・二ノ丸茶屋(小峰城内)
・JR白河駅観光案内所
■御城印販売
・二ノ丸茶屋(白河小峰城内)で購入


白河小峰城周辺の天気
| 別名 | 小峰城、白河城 |
|---|---|
| 城郭構造 | 梯郭式平山城 |
| 天守構造 | 三重櫓(複合式層塔型3重3階 1632年築・1991年木造復元) |
| 築城主 | 結城親朝 |
| 築城年 | 興国元年/暦応3年(1340年) |
| 主な改修者 | 丹羽長重 |
| 主な城主 | 白河結城氏、蒲生氏、丹羽氏 松平氏、阿部氏他 |
| 廃城年 | 明治4年(1871年) |
| 遺構 | 石垣、土塁、堀 |
| 指定文化財 | 国の史跡 |
| 再建造物 | 三重櫓・太鼓櫓・門 |
写真で見る白河小峰城
マップ
アクセス
■公共交通機関
・JR東北本線「白河駅」徒歩約10分
・JR東北新幹線・東北本線「新白河駅」徒歩約40分
■車・バイク
・東北自動車道「白河中央スマートIC」から約10分
■駐車場
・無料駐車場有り(約100台)
白河小峰城について
阿武隈川と谷津田川の間に位置する、小峰ヶ岡という丘陵にあった平山城である。東北地方では珍しい総石垣造りの城で、盛岡城、若松城と共に「東北三名城」の1つにも数えられている。
本丸と二の丸の一部が残っており、周辺は城山公園として整備され、公園内には結城氏や阿部氏に関する資料を展示した「白河集古苑」がある。本丸帯廓の北側には白河バラ園があったが、東日本大震災による本丸石垣崩落の復旧工事に伴い廃止となった。
縄張りは梯郭式で、阿武隈川を背にした北端に本丸が位置し、本丸の南に二の丸、三の丸と広がっている。また本丸は周囲を帯廓および竹之丸で囲んでいる。二の丸までは総石垣で固められていたが、三の丸からは一部が土塁となっていた。
戊辰戦争でほとんどの建物が焼失し、城址には石垣が残るのみとなっていたが、1991年に本丸御三階櫓が木造により復元された。現在各地の城址で進められている、発掘調査や、図面、古写真等の資料に基づく木造による復元の嚆矢とされている。
2011年3月11日に発生した東日本大震災により石垣等が崩壊したため、三重櫓も含め本丸は立入禁止となっていたが、2015年4月19日に小峰城復興式が開催され復興式終了後に入城可能となった。
2020年、白河市は本丸正面にあった清水門の木造復元を目指し、「小峰城一石城主」プロジェクトを立ち上げた。当初2024年度の完成を目標としていたが、白河市によれば2023年10月20日付で国の復元許可が下りた事から、2024年1月着工2025年度末完成を目指すとしている。
白河小峰城の歴史
近代以前
白河小峰城は南北朝時代の興国元年/暦応3年(1340年)に結城親朝が小峰ヶ岡に築城して小峰城と名づけたのが始まりとされる。 この当時は、現在の本丸と三の丸北端の丘陵部が城域で、現在の二の丸付近を阿武隈川が流れており、川に挟まれた細長い丘の上の城だった。
天正18年(1590年)、城主の白河結城氏が豊臣秀吉の奥州仕置により改易されるとこの地は会津領となり、蒲生氏、続いて上杉氏、再度蒲生氏が支配したが、寛永4年(1627年)に丹羽長重が10万石で棚倉城(福島県棚倉町)から移封されると、幕命により寛永6年(1629年)より城郭の大改築に着手、3年の歳月を費やして寛永9年(1632年)に完成した。
この際に阿武隈川は城の北の流れを本流とし、南の河床は埋め立てて二の丸、三の丸が築かれた。また、竹之丸東側の堀切を拡大して本丸を丘陵から切り離し現在の縄張りとなっている。後には、城の西側で南に大きく蛇行していた阿武隈川の流れを北につけかえ、埋め立てた跡地には町屋が形成された。会津藩の出身者が多く住んだ事から、会津町の名が今に残っている。
その後丹羽氏、榊原氏、本多氏、奥平松平氏、越前松平氏、久松松平氏、阿部氏と7家21代の城主の交代があったが、慶応3年(1867年)に最後の阿部氏が棚倉藩に移封された後、白河藩は幕領となり城郭は二本松藩丹羽氏の預かるところとなる。
翌慶応4年(1868年)、白河小峰城は戊辰戦争で奥羽越列藩同盟軍と新政府軍との激しい攻防の舞台となり、5月1日、大半を焼失し落城した(白河口の戦い)。
白河小峰城 周辺スポット
南湖
12代白河藩主・松平定信が「大沼」と呼ばれていた湿地帯に堤を作って水を貯め、庭園の要素を取り入れて享和元年(1801)に築造されました。
当初は単に「南湖」と称されました。南湖の名は、中国唐時代の詩人李白が洞庭湖に詠んだ詩「南湖秋水夜無煙」から、また「小峰城」の南に位置することから名づけられたと伝えられます。
定信は、武士も庶民も共に楽しむことができる「士民共楽」という理念のもと南湖を築造しました。
石都々古和気神社
石都々古和気神社は、延喜式内社の一つに数えられる古社で、古くから山岳信仰の聖地として、多くの方々に信崇敬されていました。
全国的にも数少ない祭祀遺跡の跡地として、考古学的にも大変重要な遺跡といわれています。
約一万年位前から信仰されており、多くの磐境が山々に点在していて、屏風岩、船形岩、鏡岩、亀石、天狗石、石門、更には三種の神器と言われる剣、玉、鏡等があります。
南湖神社
南湖公園内にある白河藩主・松平定信公を祀る神社で、大正11年に渋沢栄一翁の援助のもと建立されました。境内には定信公の遺品や渋沢翁の書を収めた「南湖神社宝物館」があります。
また、境内に立つベニシダレザクラ「楽翁桜(らくおうざくら)」は定信公が南湖を築造した際に植えたものといわれ、樹齢約200年と推定されます。名前は定信公の号から取られたもので、紅色が濃く、小さい可憐な花をたくさん咲かせます。
白河小峰城 周辺宿泊施設

白河小峰城 周辺グルメ
福島県の城を攻める
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