桂川・木津川・宇治川の三川合流地に向かって張り出す、天王山丘陵の頂部に位置しています。山崎は三川が合流し、対岸に男山丘陵が張り出す交通の要衝です。城域最高所の天王山頂部に位置する郭1は、北側が櫓台となっており、この櫓台付近で瓦が採集されています。また、郭1南側の郭5南西斜面には石垣が露出しています。
文献史料からは、当城跡が応仁・文明の乱から戦国時代まで、西国への要として機能した城であったことがわかります。その後、天正10(1582)年に秀吉による築城が清州会議直後に始まっており、これが現在に残る城跡の遺構となっています。
お城ニュース ※外部リンク
2026年10月24日~
第34回企画展「天下への道は大山崎から-山崎城時代の秀吉-」
山崎城の見どころ

展望台

切岸

石垣

天守台

井戸跡

曲輪
山崎城カルテ
■攻略のレーダーチャート(ポイント)
■ポイント
- 羽柴秀吉と明智光秀が激突した山崎の戦いの後に、秀吉が築城した歴史があるので、歴史ポイントは高い
- 駅から登城口までは近く、アクセスは良好
- 石垣はほぼ破壊されて遺構はあまり残っていないが、微かな遺構とロケーションを楽しみことができる
平均:72/100 ポイント
合計:430/600 ポイント
おススメ度:★★★★☆☆
■見どころバロメーター
■京都府 主要城郭との比較(ポイント)
※全ての城にそれぞれの魅力があります。当サイト独自のデータになります。

写真でめぐる お城ツアー
山崎城の御城印
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御城印販売
・山崎城 山麓の「宝積寺」で販売

山崎城 周辺天気
| 別名 | 鳥取尾山城、天王山城、天王山宝寺城、宝寺城、山崎宝寺城、宝積寺城 |
|---|---|
| 城郭構造 | 山城 |
| 天守構造 | 不明(天守が建っていた可能性あり) |
| 築城主 | 林直弘 |
| 築城年 | 延元3年/暦応元年(1338年)以前 |
| 主な改修者 | 細川晴元、豊臣秀吉 |
| 主な城主 | 林直弘、薬師寺国長、細川晴元、豊臣秀吉 |
| 廃城年 | 天正12年(1584年) |
| 遺構 | 土塁、櫓台、天守台、空堀、井戸、竪掘 |
写真で見る山崎城
マップ
アクセス
■公共交通機関
・JR京都線「山崎駅」から天王山山頂まで徒歩約60分
■車・バイク
・名神高速道路「大山崎IC」→国道171号
山崎城について
天正10年(1582年)6月、本能寺の変後、中国大返しで中国地方から畿内へ引き返してきた羽柴秀吉、神戸信孝連合軍の侵攻に備えるため、男山城と山崎城に陣取った明智光秀軍であったが、何故か淀古城、勝竜寺城へ一時撤退した。翌日羽柴軍が山崎城に陣取ったため優勢となり、光秀は逃亡、討死する結果となった。
秀吉は大坂城に移るまで、山麓にある宝積寺も含めて城郭として利用したと考えられている。
清洲会議で長浜城を柴田勝家へ譲り、秀吉の城は姫路城のみとなっていた。秀吉は「山城・丹波両国のどこかに城を築きたい」とし、更に「いずれ勝家と雌雄を決するときがくるはず」と考える秀吉にとって、京都に近く、しかも小谷城に匹敵する山城の候補地を物色するうち、天王山の場所に目をつけるようになったものと思われる」と推察されている。小谷城は秀吉が元亀元年(1570年)から天正元年(1573年)に攻め続けた城で、山城の優位性があったためではないかとしている。
城郭
現在の城郭は、最後の城主となった豊臣秀吉時代のものが多くあらわれている。山崎城の最大幅は、東西約250メートル、南北約200メートルで本丸北側には東西35メートル、南北20メートルの小曲輪があり天守台と考えられている。本丸を中心に、東側、南側、南西側に曲輪を配置し、北側は断崖の要害となっている。
縄張りの基本は四角形で築城されており、「倭城の長大な登り石垣と空堀と第一戦に捉えた天守台のパターンに近いものが萌芽しており、織田・豊臣系の築城パターンの中でも、秀吉の個性が強く出たものと考えられる」とし、山崎城の築城パターンはその後の倭城に多く出てきており、豊臣系のものが色濃く出ているとされている。豊臣秀吉が山崎城に在城中は、天王山から宝積寺一帯にかけて布陣していることから、寺を含めて城郭として機能し、寺から山頂にかけての防御はそれほど重要でなく、「山頂のこの城郭は、全体の詰の城といった存在であったと考えられ」、山頂部分の縄張りは最後の砦として機能したといえる。
また山頂の城郭(詰の城)は本丸に向かうまで、虎口、枡形、土塁、堀、土橋と連続した防御システムがある。これについて「山麓の宝積寺より山頂の詰の城を一体とするパターンと、詰の城の細かい防御施設に後の秀吉系の城郭パターンの原型と言える二大要素を持った縄張の城郭である」と指摘されている。
遺構としては、本丸の礎石跡、石垣、井戸、門柱礎石が散見できる。歴史がある山崎城だが、発掘調査は進展していない模様である。
山崎城 周辺スポット
宝積寺

聖武天皇が龍神から御請来された如意御神器「打出」と「小槌」を祀るために開基された。天王山の麓にあり、俗に宝寺とも呼ばれ、多くの寺宝を有する。本尊十一面観音菩薩像、三重の塔、閻魔大王坐像は重要文化財に指定されている。
桃山時代に秀吉が一夜で建てたと伝えられている「一夜の塔」と呼ばれる三重搭が重要文化財に、本堂及び山門は京都府の登録文化財に指定されています。
アサヒビール大山崎山荘美術館
美術館は、大正から昭和初期に建てられた本館と、建築家 安藤忠雄氏設計の地中館「地中の宝石箱」、山手館「夢の箱」からなる。本館には、民藝運動から生み出された河井寛次郎やバーナード・リーチらの陶芸作品や工芸作品、地中館には、モネ作の《睡蓮》をはじめとする絵画などが展示されている。建物、庭、内部の展示とさまざまに楽しめる美術館である。
妙喜庵「待庵」
妙喜庵は室町末期に山崎宗鑑が隠居所として 建てた建物を後、東福寺の春嶽禅師が寺に改めたといわれています。境内には江戸時代の庫裏と室町時代の建築である書院、天正10年(1582年)が千利休がつくったといわれる茶室待庵があります。書院の南に鍵の手に出た切妻造、柿葺、2畳の茶室が待庵です。
予約申込みが必要なので、詳しくはオフィシャルをチェック
山崎城 周辺宿泊施設

山崎城 攻城の拠点
京都府の城を攻める



























