丹波亀山城

亀山城(かめやまじょう)は、京都府亀岡市荒塚町周辺(旧丹波国桑田郡亀岡)にあった日本の城。明智光秀によって丹波統治の拠点として機能した城郭である。

江戸時代初頭には近世城郭として整備された。 大正時代に新宗教「大本」が購入、神殿を築いたが第二次大本事件で日本政府により破却、一部の施設は爆破された。

第二次世界大戦で日本が連合国に敗北して降伏したのち、大本に返還された。再建後も大本の本部が置かれている。

丹波亀山城の見どころ

歴史ポイント

明智光秀は、天正5年頃、丹波攻略の拠点とするために丹波亀山城を築城しました。光秀は近隣の村から人を呼び寄せ、城下町を形成しました。天正8 年に丹波国を拝領した光秀は、本格的な城下町の整備と領国経営に着手しますが、そのわずか2 年後に本能寺の変が起こります。
本能寺の変の際に明智光秀が軍勢を率いて出陣した城としても有名です。
その後、慶長15年に天下普請によって近世城郭としての亀山城が完成します。縄張りは築城の名手・藤堂高虎。五重の層塔型天守が造営されました。

遺構ポイント

亀山城跡は現在、宗教法人大本によって管理されているので、見れる範囲は本丸跡の一部となります。
受付を済ませれば指定のルートで観覧することができ、受付では丁寧に亀山城について解説をしてもらえます。
現在、本丸跡に残る石垣は、昭和に崩された石垣を大本が修復したものですが、石垣の下部は明智光秀が築いた石垣と伝わります。
本丸と同じく、大本の敷地内に内堀が残り、南郷公園にも幅のある堀が残っています。

水堀

本丸石垣

刻印石

本丸跡

内堀

一ノ門

丹波亀山城カルテ

■攻略のレーダーチャート(ポイント)

■ポイント

  • 本丸を含めた城郭跡は宗教法人 大本によって管理されているので、観覧範囲は限られている
  • 石垣や水堀を見ることができ、天下普請の証となる刻印石も残っている
  • 亀岡駅から歩いて行ける距離にあり、アクセスは良好

平均:58/100 ポイント
合計:345/600 ポイント
おススメ度:★★★☆☆☆

■見どころバロメーター

■京都府 主要城郭との比較(ポイント)

※全ての城にそれぞれの魅力があります。当サイト独自のデータになります。

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丹波亀山城の御城印

御城印販売

■大本万祥殿 総合受付
 9:30~16:00

丹波亀山城 周辺の天気

別名亀宝城、亀岡城
城郭構造平山城
天守構造3重5階(1578年築)複合式層塔型5重5階(1609年改)
築城主明智光秀
築城年1578年
主な改修者岡部長盛
主な城主明智氏、羽柴氏、石田氏、岡部氏
廃城年1877年
遺構石垣、堀
指定文化財なし

写真で見る丹波亀山城

明智光秀像
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明智光秀像
南郷公園の水堀跡
 一ノ門
本丸石垣 隅石
本丸石垣
本丸石垣
本丸跡
内堀
刻印石
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マップ

アクセス

■公共交通機関
・JR嵯峨野線・亀岡駅から南へ徒歩10分
 ※城門移築先の千代川小学校にはJR嵯峨野線・千代川駅から西へ徒歩5分

■車・バイク
京都縦貫自動車道・亀岡ICから10分

■駐車場
・大本本部に、見学者向けの大本参拝者駐車場(約50〜80台・無料)あり

丹波亀山城の歴史

戦国時代

織田信長の命を受けて丹波攻略に従事中であった明智光秀が、口丹波にある亀岡盆地の中心であった亀山に天正6年(1578年)に築城し、天正6年中に完成したと考えられる。ただし、天正5年(1577年)の1月晦日付の光秀の書状に亀山に惣堀の普請を国衆の長沢又五郎らに命じたことが記されていることから、天正4年(1576年)には築城計画が存在していたとする見方もある。

丹波の他の城と異なり、総構えが掘られており、このことから一国の拠点となる城として、それにふさわしい威容を誇っていたといえる。丹波平定後はそのまま丹波経営の拠点となったが、光秀は天正10年(1582年)に本能寺の変を起こし、まもなく羽柴秀吉に敗れて、逃走中に討死。

その後は天下を統一した秀吉の重要拠点として一門の羽柴秀勝(信長の子)・豊臣秀勝(秀吉の甥・江の夫 )・豊臣秀俊(小早川秀秋)や豊臣政権で五奉行の一人となった前田玄以などが入った。

江戸時代

秀吉の死後に天下を手中にした徳川家康もこの城を重要視し、慶長14年(1609年)に譜代大名である岡部長盛(在任1609年 – 1621年)を入封させ、丹波亀山藩主に任じた。さらに「天下普請」により幕府が西国大名に命じ近世城郭として亀山城を大修築した。

藤堂高虎が縄張りを勤め、慶長15年(1610年)夏ごろに完成し、本丸には5重の層塔型天守が上がった。

寛延元年(1748年)以降は、形原松平氏が居城し、明治2年(1869年)に亀岡藩へ改称。同4年(1871年)に亀岡県が置県され、廃藩となった。

天守

明治初年に撮影されたものは、慶長14年(1609年)に建てられた層塔型5重5階の大天守と2重の小天守が複合した複合式天守である。大天守の最上階には飾りの回り縁、高欄を付け、最上重屋根に入母屋破風と軒唐破風があるのみで、それ以外の階や重には、装飾的な窓や破風は一切ない。

亀山城の天守は、創建当初では明智光秀によって3重の天守が構えられ、後の小早川秀秋の時(文禄2年(1593年))に5重に改築されたという。

以降この天守については不明であるが、建築史の観点では、破風の一切ない層塔型天守は慶長14・15年(1609年・1610年)以降に見られるもので、それ以前の小早川時代に改変されたという天守はそれ以降に再び改変されたか解体され、明治期に撮影された姿のものが新しく建造されたのではないかといわれている。

層塔型の初例とする説

丹波亀山城の天守を、日本初の層塔型天守であるとする見解もあるが、『寛政重修諸家譜』を根拠に今治城天守(1604年から1608年の間の建造)を移築したものであるという説がある。

この説では、徳川家康がこの亀山城を天下普請によって造営した際、縄張設計を担当した藤堂高虎が、元々自身の居城である上野城へ移築するために解体していた用材を献上し、建てたものであるとしている。これを元に、今治城天守を層塔型天守の初見とする説がある一方で、今治城天守の外観や規模は不明であり、また天守の存在について発掘調査からは認められてはいない。
なお、天守ではないが初期の層塔型として加納城御三階(1602年)がある。

丹波亀山城の遺構

天守台・石垣・堀・土塁などは大本が買収した後に改変され、宗教施設が築かれた。昭和10年(1935年)には大本事件の際に当時の日本政府によってほとんどが破却されたが、終戦後、教団によって修復されている。1992年(平成4年)12月8日、宗教的理由により旧神殿部分が立ち入り禁止となった。

新御殿門(長屋門)は亀岡市立千代川小学校に移築されている。

ナビゲーター

MEMO
観覧前に必ず大本万祥殿で受付を済ませ、拝観料を治めてから城跡を観覧できます。城跡は大本の私有地なので、マナーを守って観覧しましょう。

丹波亀山城 周辺施設

千代川小学校

市内の千代川小学校には丹波亀山城の長屋門が移築されています。
内部は番所を伴っていて、門扉は八双金具や鉄鋲が縦横に施し非常に立派に造られています。
遺構がほぼ残っていない丹波亀山城にとって、とても貴重な遺構です。

→マップ

天然砥石館

レンガ造りの洋館が目印の「森のステーションかめおか」は、亀岡の特産品などを発信する展示・体験施設です。1階の天然砥石館は世界初の体験型の天然砥石博物館。亀岡で産出される天然砥石を中心に、貴重な国内外の砥石や資料などの見学や、包丁研ぎ、鰹節削りなど「研ぎ」の文化体験ができます。

谷性寺(光秀寺)

明智光秀公の首塚が祭られ、命日にあたる6月14日に回向が行われています。また、毎年5月3日に開催される「亀岡光秀まつり」では、ここで追善供養が行われます。初夏には明智家の家紋である桔梗が咲き乱れ、「桔梗寺」とも呼ばれています。

丹波亀山城 周辺宿泊施設

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