鹿児島城【日本100名城】

鹿児島城は城山層の上に通称シラスと呼ばれる入戸火砕流堆積物が堆積して形成されたシラス台地の南端部にあり、標高は約100mです。南北朝時代に上山氏によって山城が築かれました。

その後 島津氏が本城として、江戸時代のはじめに薩摩藩の初代藩主島津家久が大改修しました。
城山の麓に居館を造営し、山城である城山と麓の屋形造りの方形居館を組み合わせた、現在残る鹿児島城が築かれました。

明治10年に勃発した西南戦争では、西郷隆盛を中心とする薩軍の本営となり、政府軍との城山攻防戦で最後の激戦地となりました。

鹿児島城の見どころ

観光スポット

鹿児島市内は島津氏、西郷隆盛、薩摩藩士が息づく街で、多くの歴史スポットがあります。
桜島などの景観スポットや亜熱帯地域に生息する植物が多い自然の豊かなエリアでもあります。
黒豚や鹿児島ラーメン、さつま揚げ、芋焼酎などグルメも魅力的で観光には最適です。

かごしま市観光ナビ OfficialHP

遺構ポイント

鹿児島城には建築物が残っていなかったが、2020年に国内最大級の城郭楼門となる「御楼門」が復元されました。本丸には水堀と石垣が残り、御楼門の枡形には西南戦争の激戦を物語る弾痕が生々しく残ります。
背後には城山があり、国内最後の紛争となる西南戦争で西郷隆盛や旧薩摩藩士は籠城戦を繰り広げました。鹿児島市内や桜島を一望できます。

本丸北東 隅欠

城山

御楼門

西南戦争 弾痕跡

二の丸-本丸 石垣

西郷隆盛洞窟

二の丸石垣

私学校 石垣

名城スタンプと御城印

日本100名城スタンプ
・黎明館
 開館時間:9:00~18:00 ※月曜休館
・まち歩き観光ステーション
 開館時間:9:00~17:30

御城印販売
・まち歩き観光ステーション
 開館時間:9:00~17:30

鹿児島城 周辺スポット

別名鶴丸城
城郭構造平山城
天守構造なし
築城主島津忠恒
築城年1602年(慶長7年)
主な改修者島津吉貴
主な城主島津氏
廃城年1872年(明治5年)
遺構石垣、堀、石橋
指定文化財国の史跡、天然記念物

写真で見る鹿児島城

本丸-二の丸石垣
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本丸-二の丸石垣
御楼門
御楼門
御楼門ライトアップ
御楼門石垣 弾痕跡
本丸石垣
本丸石垣 北東隅欠
二の丸石垣
本丸から見た城山
城山から見た鹿児島市内
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登城レポート

マップ

アクセス

公共交通機関
・JR日豊本線「鹿児島駅」徒歩約12分
・市電「市役所前」または「水族館口」徒歩5分

車・バイク
・九州自動車道「鹿児島IC」から約10分

駐車場
・黎明館駐車場(無料 125台)
※その他 市内各所に有料駐車場あり

鹿児島城について

江戸時代初期に島津忠恒によって築かれた、上山城跡である城山とその麓に築かれた鶴丸城で構成された平山城である。平城や山城とする説もある。

城山は、南北朝時代には「上乃山城」および「上山城」という上山氏の居城であったが、後に島津氏に明け渡された。その後島津忠恒は城山の東麓に屋形を築いて居城した。麓の屋形には石垣が築かれたが、公称「77万石」の大名の城としては天守など高層建築や高石垣などは築かれず、明治時代に城跡を訪れた本富安四郎は著書『薩摩見聞記』で「不思議」と評している
これには江戸幕府に対する恭順の意味があったとされる。その代わりに、中世式の山城を各地に残し、113区画をそれぞれ家臣に守らせる外城制度を行っていたとされる。

本城である鹿児島城は北に本丸、南に二の丸が位置していたが、単純な構造で防御には問題のある「屋形造」の城であった。そのため裏山である城山を籠城のための「後詰めの城」としていた。初代の城代として島津歳久の孫の常久が任命されて居住していたが、常久が早世した後は次の城代は任命されず、城山自体が聖域として立入禁止区域となった。

慶長11年(1606年)に大手虎口の橋が堀に懸けられ、慶長17年(1612年)に「御楼門」という大手門の櫓門が建てられる。1873年(明治6年)には御楼門と1重2階の兵具所多門櫓、角櫓(隅櫓)、書院造の御殿などがあった。御楼門と兵具所多門櫓、角櫓の様子については明治初期に撮影された写真が残されている。

鹿児島城の歴史

慶長6年(1601年)に島津忠恒(家久)により築城される。四神相応の地として選定された。前年の関ヶ原の戦いで薩摩国の島津氏は西軍側に属して敗北し、責を負って引退した島津義弘に代わり、義弘の実子で義弘の兄の義久の婿養子となっていた忠恒(家久)が新当主となっており、東軍として勝利した徳川家康の脅威に対抗する手段として、当時の内城に代わる城として鶴丸城の構築を開始し、慶長9年(1604年)に完成する。

忠恒(家久)の実父の義弘は海岸に近いこの地は防御に問題があり城を築くのに適さないとし、最後まで築城に反対していた。家康の薩摩征伐は実施されることなく、薩摩藩は外様大名として存続を許されることとなり、忠恒の代に鶴丸城が実戦で用いられることはなかった。しかし、数百年後、幕末の薩英戦争の時に義弘の懸念は現実のものとなり、イギリス軍艦から奥御殿に砲弾を何発か打ち込まれるなど脅威にさらされることになる

鹿児島は災害の多い地域でもあり、また南国でシロアリ被害が多く、幾度も倒壊、焼失したが、そのたびに建て替えが行われた。しかし、1874年(明治7年)に焼失したのちは再建されることはなかった。

1871年(明治4年)の廃藩置県の後、鹿児島城には鎮西鎮台第二分営が置かれたが、1873年(明治6年)の火災によって本丸が焼失、このとき御楼門も焼失した。1877年(明治10年)の西南戦争では二の丸が焼失した。出丸には私学校が設立されたが、西南戦争後の1882年に県立鹿児島医学校とその附属病院が置かれた。鹿児島医学校が廃止された後も病院は所属を変えながら同じ場所に存続し、戦後は鹿児島大学の附属病院だったが、1974年に医学部ととともに宇宿に移転、後に国立病院機構鹿児島医療センターになっている。

鹿児島城 周辺スポット

仙巌園

仙巌園は、万治元年(1658)に島津家19代光久によって築かれた島津家の別邸です。28代斉彬がこよなく愛し、篤姫や西郷隆盛も訪れた美しい大名庭園で、錦江湾と桜島の雄大な景色を望むことができ、島津家800年の歴史を紹介しています。
園一帯は、平成27年に「明治日本の産業革命遺産」として世界文化遺産に登録されました。

維新ふるさと館

幕末の薩摩と明治維新の全てが学べる歴史観光施設です。西郷隆盛や大久保利通などの出身地である、加治屋町にあります。
近代日本の原動力となった鹿児島の歴史や先人たちの偉業などを映像・ジオラマ・ロボットなどを使って紹介しています。また、「西郷どん」や「篤姫」などの大河ドラマ館展示物の一部も大河ドラマコーナーでご紹介しています。

西郷隆盛洞窟

明治10年2月、西南戦争において鹿児島城下を出発した薩軍は、九州各地で転戦したのち、8月に解散。その後西郷隆盛の一行は九州の山間地を越えて鹿児島を目指し、9月1日、再び城下に戻り、城山に立て籠もりました。
私学校の幹部たちとともに、銃弾に倒れるまでの最期の5日間を過ごしたのがこの洞窟と言われています。西郷隆盛が最後まで薩軍の指揮をとっていた場所として重要な史跡です。

照国神社

島津家第28代当主・島津斉彬公を祀る神社です。鹿児島市で最も大きな神社として、多くの参拝者が訪れています。西南戦争により社殿と宝物を焼失し、明治15年に復興されたものの、昭和20年に戦災で再び焼失しました。昭和33年に復興造営され、現在は鉄筋コンクリート造りになっています。入館料無料の資料館があり、境内横には斉彬公、探勝園には久光公・忠義公の銅像もあります。

鹿児島城 周辺宿泊施設

グルメの街 鹿児島市

黒豚とんかつ

鹿児島ラーメン

薩摩地鶏

鹿児島県の城を攻める

鹿児島県

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鹿児島城【日本100名城】: 31.598292, 130.555649
知覧城【続日本100名城】: 31.367591, 130.443503
志布志城【続日本100名城】: 31.483434, 131.107546
清色城跡(きよしきじょう): 31.806376, 130.425010
高山城跡: 31.317067, 130.966542
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鹿児島城【日本100名城】
鹿児島城【鹿児島市】
標高107mの中世上山城跡(城山)の東麓に、島津家久が1601年に築城を開始し、約10年かけて完成させた平城。本丸と二の丸の二つの曲輪から構成され、天守も櫓もないシンプルな城だった。本丸と二の丸の石垣がほぼ完全な形で残されている。



遺構:石垣・堀・石橋
復元建築:御楼門
縄張り:平山城(県指定史跡)
鹿児島城データベース
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知覧城【続日本100名城】
知覧城【南九州市】
標高170mのシラス台地に築かれ、約40mの切り立ったシラス崖によって本丸、倉ノ城・今城・弓場城の4つの独立した曲輪に分けられた城。江戸時代は武士団の集住地域として整備された為、現在も武家屋敷が残っている。



遺構:曲輪・土塁・虎口・空堀
縄張り:山城(国指定史跡)
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志布志城【続日本100名城】
志布志城【志布志市】
志布志城は内城・松尾城・高城・新城の4つの城郭から構成された城。島津氏や肝付氏が争った大隈・日向地方の要塞だった。シラス台地を巧みに生かした深い空堀や土塁が特徴です。



遺構:土塁・虎口・曲輪・堀切
縄張り:連郭式 山城(国指定史跡)
志布志城データベース
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清色城跡(きよしきじょう)
清色城跡【薩摩川内市】
島津氏の家臣である入来院氏の居城で、豊臣秀吉による九州征伐後に島津氏の直轄地になる。1613年に入来院重国がこの地に戻り、地頭として入来麓に仮屋を構えた。この地方特有のシラス台地を切り取った断崖絶壁の切通しが見どころ。



遺構:土塁・曲輪・堀
縄張り:群郭式 山城(国指定史跡)
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高山城跡
高山城【肝付町】
戦国時代にこの地をおさめた肝付氏の本拠地で、島津氏と対立して1573年に落城する。天険(山)を利用した山岳戦に適した構造で、本丸・二の丸・空堀などが残る。かつて18代にわたり使われた歴史ある要塞跡です。



遺構:土塁・空堀
縄張り:山城(国指定史跡)