古宮城【続日本100名城】

古宮城は元亀3年(1572)以降に武田信玄が築城し、その縄張り設計は馬場美濃守信春によるものと推測されていす。独立丘陵全体に配置された土塁や堀などの、戦国時代の遺構がほぼ完全な形で今に残る非常に貴重な城跡です。

ここでは武田方の徳川に対する拠点城郭としての性格のほか、「丸馬出し」、「両袖枡形虎口」、「横堀」など、これまで徳川方や武田方の特色とされてきた遺構が混在して認められることも大きな特徴です。

古宮城の見どころ

歴史ポイント

元亀3年(1572年)頃、古宮城は武田信玄が築城し、その縄張り設計は馬場信春が行ったと伝わります。
元亀4年の武田信玄の死後、一帯を治めていた奥平定能・定昌親子は武田氏を離れ、徳川方に内通しました。奥平一族が起こした突然の裏切り行為による混乱に乗じて、手薄となった古宮城は奥平氏の援軍として駆け付けた徳川家康軍の攻撃を受けて、城は焼き払われて武田勢は敗走したことで知られています。
以降、奥平氏は徳川氏の重要な武将として長篠の戦いなどで活躍することになる。

遺構ポイント

山全体を城塞化した武田氏の最高傑作の城と評される名城です。北・南の巨大な竪堀が西と東に完全に分断しており、主に2つの曲輪から構成されおり、特に北大竪堀は他では見ることのできない超ダイナミックで、堀底を歩くこともできます。
大手があったとされる城郭西側は、雛壇状に空堀と土塁が斜面に沿って連続しており、まるで迷路です。
古宮城は戦国期の遺構が当時のまま完存しており、どこを歩いても遺構だらけなのが特徴です。

西曲輪

仕切の土塁

西曲輪 空堀

櫓台

南大竪堀

枡形虎口

馬出

北側土塁

北大竪堀

東竪堀

牢跡

土橋

古宮城カルテ

■攻略のレーダーチャート(ポイント)

■ポイント

  • 山全体の遺構がほぼ戦国期のまま完存しているので、遺構だらけで見どころ豊富
  • 山自体がコンパクトで範囲はそこまで広くないので周りやすい
  • 電車が近くを走っていないのでアクセスはやや困難

平均:77/100 ポイント
合計:460/600 ポイント
おススメ度:★★★★★★

■見どころバロメーター

■愛知県 主要城郭との比較(ポイント)

※全ての城にそれぞれの魅力があります。当サイト独自のデータになります。

写真でめぐる お城ツアー

名城スタンプと御城印販売

※スタンプ設置場所や御城印販売所の場所、営業時間は最新情報をご確認ください。

続日本100名城スタンプ設置場所

・作手歴史民俗資料館
 時間:午前10時~午後3時
 休館日:毎週火曜日(火曜日が休祝日の場合は次の平日休館)
 ※ただし、夏休み期間中は開館

御城印販売

・作手歴史民俗資料館
 時間:午前10時~午後3時
 休館日:毎週火曜日(火曜日が休祝日の場合は次の平日休館)
 ※ただし、夏休み期間中は開館

古宮城周辺の天気

城郭構造平山城
天守構造なし
築城主武田信玄(『三河国二葉松』)
築城年元亀2年(1571年)
主な改修者不明
主な城主不明
廃城年天正3年(1575年)
遺構土塁・曲輪・横堀・竪堀等
指定文化財新城市指定史跡

写真で見る古宮城

東虎口前 土橋
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東虎口前 土橋
西曲輪 仕切土塁
西曲輪と土塁
西曲輪下 空堀
西曲輪下 空堀
西曲輪下 空堀
西曲輪下 空堀
東大竪堀
東曲輪 枡形虎口
東曲輪から見た西曲輪
北側 土塁と空堀
西曲輪から見た北大竪堀
西曲輪から見た大竪堀と土橋
北大竪堀
北大竪堀
北大竪堀
北大竪堀
東竪堀
牢跡
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マップ

アクセス

■公共交通機関
・JR飯田線「新城駅」バス停よりバス作手線に乗車→「鴨ケ谷口」下車徒歩すぐ
 ※乗車時間40分

■車・バイク
・東名高速道路「豊川IC」から約26km

■駐車場
・専用無料駐車場あり「古宮城駐車場」

古宮城について

古宮城は三河国北東部の山間地にある作手盆地の中央部に立地する。城のすぐ西には作手盆地を南北に縦貫する作手街道が走り、また城の南側には作手街道から分岐した街道が東に伸びる(山を越えて伊那街道に接続する)など、山間部の交通の要衝といえる位置にある。

また、城は周辺からの比高30メートルほどの小さな独立した丘にあり、周辺は盆地内で最も標高が低いこともあって湿地帯(水田)となっている。また、城から作手街道を挟んで西側にはすでに本城山が迫ってきており、同時期に塞ノ神城が築かれていたと考えられている。

古宮城の歴史

古宮城自体が同時代の史料に登場しないため、築城から廃城に到る過程については明らかではないが、『三河国二葉松』によると元亀2年(1571年)に武田信玄が馬場信春に命じて築城させたとある。前述のとおり古宮城の地は街道上の要衝に立地し、当時武田氏が抗争していた三河の徳川家康攻略の拠点として築城されたと考えられている。『二葉松』によると小幡又兵衛、甘利左右衛門、大熊備前守が在城したという。

廃城の時期についても明らかではないが、天正3年(1575年)5月の長篠の戦いで武田氏の勢力が大きく後退した時期の可能性が高い。

『中津藩史』によると、この頃、作手を領有していた奥平氏は武田氏から離反して、徳川家康に再属する記述が見られる。

天正元年8月(1573年)に亀山城を放棄した奥平貞能と一族郎党を、古宮城の武田軍が追捕行動を起こした。逃亡奥平軍の殿軍に肉薄したところ、奥平の別働隊が手薄の古宮城を襲うと見せかけた陽動放火を展開。古宮城の危機と判断した武田軍は追捕を断念したという。

遺構

現在、城郭跡の南側には白鳥神社が建立されているが、その他の区域は山林となっており、遺構の破壊がかなり少ない。このため、戦国時代の築城技術を知る上で貴重な遺構となっている。

城の規模は250メートル×200メートルほどであり、先述したとおり比高30メートルほどの小さな丘に立地し(標高は約580メートル)、当時は周囲は湿地帯(水田)となっており、現在もある程度排水されたものの水田が広がっている。

城郭は大きな堀によって東側と西側に分けられている。外部から城への入口は作手街道に面した西側にある。城の西側に侵入すると、幾重にも張り巡らされた細い土塁や堀底を移動することになり、しかも常に高所から守備隊の攻撃にさらされる。細い道を登り、西側の曲輪に入ると、一箇所だけある東側の曲輪への細い道がある。東側の曲輪の虎口はいわゆる桝形の構造となっており、これを通過すると50メートル四方ある主郭部に入る。また、主郭部の東側は段々状の削平面となっており、ここが武家屋敷であったと考えられている。また、大きな竪堀もはりめぐらされている。

これらの遺構からも、古宮城は武田氏による築城技術が生かされた構造と考えられ、『日本城郭大系』は「古宮城」の項で「遠江諏訪原城を小型化した縄張りで、(中略)、中世から近世に移る過程の城郭の見本ともいえる城」と評している。ただし、現在に至るまでこの城跡に対する本格的な発掘調査は実施されておらず、構造・内部空間が詳しくはどのようであったのかはその結果を待つ必要もある。

古宮城 周辺スポット

作手歴史民俗資料館

新城市作手地区にある資料館で、建物は周辺に数多く点在する城郭からお城風の外観となっています。
長篠の戦いで長篠城の城主となった奥平氏の居城であった「亀山城跡」や「古宮城跡」などの戦国時代の山城の紹介をしています。
古宮城の御城印や続日100名城スタンプの資料館でコンプリートすることができます。

道の駅 もっくる新城

古宮城の近くには道の駅があり、奥三河の木材を使用したアーチ屋根が特徴の施設には、卵かけご飯モーニング、ジビエを利用したししラーメン等を提供するフードコート、地元産品を扱う直売所等があります。
道路・観光案内所、観光をはじめ地域の活性化を図る「奥三河観光ハブステーション」として、地域の魅力を発信するとともに人の集う施設です。

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