稲付城

稲付城(いねつけじょう)は、東京都北区赤羽西1丁目にある城で、現在の静勝寺(じょうしょうじ)の場所にあったと伝わる。一説によると、戦国時代に太田道灌が築城したとされており、(扇谷上杉氏によるとの説もある。ただ、太田道灌は扇谷上杉氏の家臣だったので、少なからず関わっていたと言われている)。
道灌の孫である太田資高およびその子太田康資が、2代にわたり当地に館を築いていたが、その後に稲付城は後北条氏のものになり、後北条氏滅亡後は江戸に入った徳川家康の命により廃城になったとされる。
Contents
稲付城について

現在、稲付城があったとされる場所には静勝寺が建っている。城としての遺構は残っていませんが、アップダウンや縁など当時の城らしい形状を見ることができます。
赤羽という都内の発展した街に、静かに城跡は佇んでいます。
静勝寺には影堂(道灌堂)があり、堂内には座像が安置されています。道灌堂には250回忌にあたる享保20年(1735年)7月に建立されました。像は道灌の命日である7月26日にちなんで、毎月26日に開扉されます。

稲付城石碑

静勝寺 本堂

道灌堂

城郭形状
登城レポート

2026年7月:初訪城

ポイント
- 遺構は残っていないが、関東の名称太田道灌が関わった城ということで行く価値はあります。
- 赤羽駅から近いのでアクセスポイントは高い
平均:1.66
合計:10.0
- 遺構:遺構の多さ、貴重度
- アクセス(目安):新幹線が最寄り→5、駅が近い→4、駅から歩いて行ける距離→3、駅から遠いがバスが走っている→2、車が無いと行けない→1
- 満足度→攻城のトータル総評
- 歴史→時代に影響を与えた歴史の舞台→5、有名な武将や合戦があった城→4
- 整備:トイレの有無、城内の解説板、パンフレットのクオリティの評価
- 城郭範囲:観覧範囲の広さと、遺構の残存度。見どころの多さにも直結
※全ての城にそれぞれの魅力があるのは前提での主観的評価になります。
稲付城 周辺の天気
| 別名 | – |
|---|---|
| 城郭構造 | 山城 |
| 天守構造 | – |
| 築城主 | 伝 太田道灌 |
| 築城年 | 不明 |
| 主な城主 | 伝 太田道灌・伝 太田資高・伝 太田康資 |
| 廃城年 | 徳川家康が関東入封後に廃城 |
| 遺構 | – |
| 指定文化財 | 木造太田道灌坐像 附 厨子1基(有形文化財・彫刻) 静勝寺除地検地絵図・古文書(有形文化財・歴史資料) |
| 再建造物 | – |
写真で見る稲付城
マップ
アクセス
■公共交通機関
・赤羽駅(JR東日本)より徒歩3分
■車・バイク
・JR赤羽駅西口通りを中坂から入り、理髪店わきを右折、突き当り
■駐車場
・静勝寺に無料駐車場有り
稲付城について
当地一帯は稲付城(いねつけじょう)と呼ばれていた城があったところと言われている。一説によると、戦国時代に太田道灌が築城したと伝わっている(扇谷上杉氏によるとの説もある。ただ、太田道灌は扇谷上杉氏の家臣だったので、少なからず関わっていたと言われている)。
稲付城の付近には鎌倉時代から岩淵の宿が、室町時代には関が設けられ街道上の主要地点でした。
稲付城はその街道沿いで三方を丘陵に囲まれた土地に、江戸城と岩槻城を中継するための山城として築かれました。
道灌の孫である太田資高およびその子太田康資が、2代にわたり当地に館を築いていたが、その後に稲付城は後北条氏のものになり、後北条氏滅亡後は江戸に入った徳川家康の命により廃城になったとされる。
静勝寺について
静勝寺の由来は太田道灌の死後、道灌の師・雲綱和尚が1504年に、城の一角に彼を弔う堂を建立して道灌寺としたことにはじまる。その後に明暦元年(1655年)、道灌の子孫の太田資宗が堂などを整備して中興、道灌とその父・太田資清の法号によって寺号を自得山静勝寺と改めたと言われている。
江戸時代を通じて、静勝寺は太田氏の菩提寺とされ、道灌堂(太田道灌像を祀る堂、1715年建立)、旧本堂(現在の弁天堂、1694年建立)などを造営するなど深くかかわっていた。
関東大震災後の1928年に、現在の本堂が完成した。観音堂は2007年に建立された。
稲付城跡を含め、当寺院一帯は東京都の史跡になっている。
宝物
太田道灌木像と道灌堂
当山六世風全が元禄時代に造ったものを、九世法雲が正徳年間に改彫したとされています。
境内東側の53段の石段を上がった正面にある道灌堂(享保20年、250回忌の際の建築)に、
厨子(350回忌に作られた)に収めて祀られています。
剃髪、道服姿で立膝をし、手に払子(ほっす)をもち、傍らに脇刀が置いてあります。
高さ約60センチ、如何にも武将らしい凛々しい風ぼうで、
かって東京府庁舎前に銅像を造るときモデルとされたと伝わり、寺では道灌の命日7月26日に開扉します。
稲付城 周辺スポット
飛鳥山公園
飛鳥山は約300年前、徳川吉宗が享保の改革の施策の一環として整備・造成を行ったことで知られています。
江戸の庶民たちがお花見を楽しめる行楽の地にするため桜を植え、吉宗自ら飛鳥山に宴席を設けて名所として宣伝したそうです。
旧渋沢庭園
飛鳥山公園の一角は、渋沢栄一が1879(明治12)年から亡くなる1931(昭和6)年まで、初めは別荘として、後に本邸として過ごした「曖依村荘(あ いいそんそう)」とよばれる邸宅跡です。
往時は8470坪(約28,000㎡)の敷地に日本館と西洋館からなる本館をはじめ色々な建物が存在しましたが、 その多くは1945(昭和20)年の空襲で消失しました。現在は飛鳥山公園の一部として一般に開放されています。
王子稲荷神社
関東稲荷総社の格式を持ち、江戸時代より庶民に親しまれてきました。 大晦日、稲荷の使いである狐が、近くの榎の下で身なりを整え、この神社に初詣をするという言い伝えがあります。
年末には地元の方々の催す「王子狐の行列」が新しい風物詩となっています。 また、毎年2月の午の日に開かれる凧市は、たびたび大火にみまわれた江戸庶民たちが「凧は風を切る」として火事除けの縁起をかつぎ、今なお親しまれています。



















