宮城県白石市にある白石城(益岡城)は、江戸時代に伊達家の重臣・片倉氏が治めた仙台藩南部の重要拠点。明治の廃城令によって解体されるが、平成7年(1995年)に全国でも珍しい木造で三階櫓や大手門が復元された。
幕末の慶応4(1868)年、新政府軍に対抗すため、仙台と米沢の間にある白石城では奥羽14藩が集まって「白石会議」が行われた。その後奥羽越列藩同盟が結ばれ、白石城には公議府が設置され輪王寺宮が滞城された。
白石城は日本の歴史の転換期に重要な役目を果たした城でもあった。
お城ニュース ※外部リンク
2026年8月1日
ブルーライトアップの実施について
白石城の見どころ

本丸井戸跡

本丸大手二ノ御門

棟門

伝統工法

天守(大櫓)

石垣
白石城カルテ
■攻略のレーダーチャート(ポイント)
■ポイント
- 東北新幹線の停車駅「白石蔵王駅」もあるのでアクセスは良好
- 遺構はほぼ失われたが、大櫓や城門などが木造復元されているので、整備のポイントは高い
- 奥羽越列藩同盟の締結や、真田幸村の思想ん子孫が繫栄した場所でもあるので、歴史のポイントは高い
平均:64/100 ポイント
合計:385/600 ポイント
おススメ度:★★★★☆☆
■見どころバロメーター
■宮城県 主要城郭との比較(ポイント)
※全ての城にそれぞれの魅力があります。当サイト独自のデータになります。

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名城スタンプと御城印
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日本100名城スタンプ設置場所
・白石城 天守内
・開館時間:(4月〜10月)9:00〜17:00、(11月〜3月)9:00〜16:00
御城印販売
・白石城歴史探訪ミュージアム事務所
・開館時間:(4月〜10月)9:00〜17:00、(11月〜3月)9:00〜16:00

白石城 周辺の天気
| 別名 | 益岡城、枡岡城 |
|---|---|
| 城郭構造 | 梯郭式平山城 |
| 天守構造 | 大櫓(三階櫓)複合式層塔型3重3階(1819年再、非現存。1995年木造復元) |
| 築城主 | 白石氏 |
| 築城年 | 鎌倉時代 |
| 主な改修者 | 藤原経清 |
| 主な城主 | 白石氏、蒲生氏、甘糟景継、登坂勝乃(上杉氏)、片倉氏 |
| 廃城年 | 1874年 |
| 遺構 | 石垣、移築門、移築蔵 |
| 指定文化財 | 白石市指定史跡 |
| 再建造物 | 三階櫓、門、塀 |
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マップ
アクセス
■公共交通機関
・JR東北本線「白石駅」から徒歩10分
・JR東北新幹線「白石蔵王駅」から徒歩25分
■車・バイク
・東北自動車道「白石IC」から10分
■駐車場
・城下広場 無料駐車場(81台)
白石城の立地
白石城は、奥羽山脈と阿武隈高地に囲まれた白石盆地の中にある独立丘陵地の北端、標高76メートルの地点に築かれた。ふもとの市街地との高低差は約20メートル。城の北方約1キロメートルのところを白石川が東へ流れる。
江戸時代の白石城下には奥州街道が南北に縦断し、この街道の北方面が仙台、南方面が福島、江戸だった。また、白石から西の米沢へ向かう道、東の相馬に通じる道があり、交通の要衝を押さえていたのも白石城の地理的特徴だった。
白石城の構造
白石城は平山城である。江戸時代の間、白石城は絵図に描かれており、時代の異なる絵図の比較から、白石城の城域は拡張傾向にあったとみられている。白石城は最終的に、丘陵の頂きに本丸、二の丸、中の丸、西曲輪、中段に沼の丸、南の丸、巽曲輪、帯曲輪、厩曲輪、平地部分に三の丸、外曲輪という六丸五曲輪構成になった。
本丸には大櫓(三階櫓)があった。正保年間の絵図では二階櫓が描かれ、寛文年間の絵図では三階櫓が描かれていることから、二階櫓から三階櫓に改造されたのではないかとも言われたが、天守は最初から三階櫓だった。三階櫓は天守の代用で、藩の支城という格と幕府への配慮から天守の名をはばかり大櫓と名づけられたとされる。
現存する白石城の遺構としては、厩口門が市内の延命寺山門に、東口門が市内の当信寺山門に、上屋敷の門かもしれないものが名取市の耕龍寺山門に、奥方御門かもしれないものと煙硝蔵が市内の個人宅に、それぞれ移築されている。土塁は当時のものがそのまま残っている。
白石城の歴史
白石城が、いつ、誰の手によって造られたのか、はっきりしたことはわかっていない。中世に刈田氏がここを居城としていたが、この時代の白石城についての史料は乏しい。刈田氏は後に白石氏を名乗り、やがて伊達氏の勢力下に組み込まれていった。
豊臣秀吉によって奥州仕置が行われると、1591年(天正19年)より刈田郡は会津に封じられた蒲生氏郷の領地となり、白石城には氏郷の家臣蒲生郷成が入った。郷成により、白石城は近世的な城へと改造されて益岡城と呼ばれ、城下町も造られたと伝わるが、やはり史料が存在せず、全貌は明らかでない。
郷成は1595年(文禄4年)に白石から須賀川に移るが、この時に白石城は破却されたという伝承もある。1598年(慶長3年)、蒲生氏は宇都宮に移封された。これに代わって上杉景勝が会津へ入り、その家臣である甘糟景継が白石城主となった。この時の白石城について、良好な史料ではないともされるが、古城に縄張りして築城されたとする史料がある。
1600年(慶長5年)、徳川家康が上杉景勝を討たんとする会津征伐が起こると、家康に接近していた伊達政宗は上杉領に攻めかかり、白石城の戦いが起こった。甘糟景継に代わって城を守っていた登坂勝乃は伊達軍の攻勢の前に降伏し、刈田郡は再び伊達氏の領土となった。
伊達氏の城となった白石城には、まず政宗の叔父・石川昭光が入ったが、1602年(慶長7年)12月、政宗の側近である片倉景綱が亘理から移り、1万8000石を領した。1615年(慶長20年)、江戸幕府が一国一城令を発するが、仙台藩では仙台城に加えて白石城の存続が認められ、白石城は明治時代まで片倉氏の城として残った。『片倉代々記』には、白石城の修繕が、主だったものだけでも約30回、記録されている。
1868年、戊辰戦争の際に奥羽諸藩の代表たちが白石城において白石列藩会議を開き、これが奥羽越列藩同盟の結成につながった。白石城には公議府が置かれ、北白川宮能久親王が滞在した。しかし、仙台藩は新政府軍に降伏し、白石城の明け渡しが行われた。1869年(明治2年)に白石藩が成立して、新政府に降った元盛岡藩主の南部利恭がここに移封されたが、利恭は旧領復帰を望みまもなく白石から去った。
白石城には三陸磐城両羽按察府が置かれ坊城俊章が城に入ったが、按察府は1870年(明治3年)に廃止されて、白石城は旧片倉家中開拓役所預かりとなった。その後、白石城は陸軍省、大蔵省の管轄を経て、1874年(明治7年)に民間へ売却され取り壊された。城の取り壊しからしばらく経った1900年(明治33年)、城跡は益岡公園となった。
縄張り
▪️梯郭式平山城
白石城は本丸は石垣で形成されているが、明治の廃条令で石垣も破壊されてしまった。現在の石垣は天守復元に先立って復元されました。

出典元:余湖くんのホームページより
白石城 周辺スポット
小原温泉
白石川の上流、V字型の渓谷に寄り添う小原温泉は、平安時代後期に源義経の家臣・常陸坊海尊(ひたちぼうかいそん)が発見したと伝えられ、約800年もの長い歳月、人々を癒やし続けてきました。
武家屋敷
白石城の北側、三の丸外堀にあたる沢端川に面した閑静な住宅街の一角に、片倉家の奥方用人として仕えた旧小関家があります。
城下町の風情が色濃く残る武家屋敷周辺は散策にもおすすめです。白石城からも近いのでセットで周ることができます。
白石城歴史探訪ミュージアム
白石城のある益岡公園にあり、1階にはチケット販売窓口のほか、白石の地場産品と白石城のお土産を中心とした売店と、食事がとれるレストランがあります。
2階には展示室があり、白石城と周辺の城下町を復元した500分の1の模型や片倉家ゆかりの甲冑、刀剣、火縄銃など白石城のさまざまな視点から紹介する展示コーナーとなっております。
検断屋敷(材木岩公園)
七ケ宿の宿駅の一つ、白石市上戸沢にあった木村家の母屋を、材木岩公園内に移築・復元したもの。木村家は、上戸沢宿の伝馬や宿駅関係を取り締まる検断役を勤めた家で、本陣に準ずる役割を担っていました。
県の有形文化財に指定されてます。
そば処が隣接しており、天然記念物材木岩の雄大な景色を眺めながら手打ちそばが味わうことができます。

MEMO
白石市のご当地グルメは温麺(うーめん)。
温麺は油を使わずに延ばした素麺の一種で、今から約400年前 江戸時代初期に胃を病んだ父親のために息子が考案し、消化によく優しい味わいから「温かい麺」という意味で温麺と名付けられた伝承があります 。
宮城県の城を攻める





















