久保田城【日本100名城】

久保田城は、関ヶ原の戦いの後に秋田へ移封された初代藩主・佐竹義宣によって1603年に築かれた平山城です。
天守閣や石垣をほとんど持たず、広大な堀と土塁を巡らせた独特の構造が特徴で、史跡指定はされていないが、現在は美しい「千秋公園」として整備され秋田市指定名勝に指定されている。

久保田城の見どころ

歴史ポイント

久保田城を築城した佐竹義宣は清和源氏の一家系である常陸源氏の嫡流です。 豊臣秀吉のもとでは、常陸国(現在の茨城県)に54万5千石余を領し、豊臣政権の六大将と呼ばれた戦国大名です。

関ヶ原の戦いにおいては、徳川家康に味方しなかったため、出羽国久保田(現在の秋田県秋田市)へ国替えとなりますが、地元豪族の勢力を排除し、久保田藩(秋田藩)20万石の礎を築きました。

遺構ポイント

東北を代表する土造りの近世城郭の久保田城。城跡は千秋公園として整備されていますが、当時の城郭形状が良好に残っており、高い土塁と土造りの枡形虎口が幾つも残っています。

城内には表門が木造復元され、表門の前には番所が現存しています。
本丸と二の丸を中心とした広大な敷地が整備されており、大手門堀と穴門堀の周りをウォーキングがてら、のんびり歩くのもおススメです。

表門

御出書院跡

土門跡

水堀

御物頭御番所

御隅櫓

黒門跡

帯曲輪門跡

長坂門跡

内堀

埋門跡

裏門跡

舟形手水鉢

土塁

登城レポート

ポイント

  • 新幹線も停車するJR秋田駅からも歩いて行ける距離にあるのでアクセスポイントは満点
  • 本丸と二の丸を中心に整備されており、虎口跡や土塁など良好に残っている。表門が復元されて、番所が現存しているので見どころが多く、城郭範囲も広いので全体的にポイントが高め

平均:4.0
合計:24.0

  • 遺構:遺構の多さ、貴重度
  • アクセス(目安):新幹線が最寄り→5、駅が近い→4、駅から歩いて行ける距離→3、駅から遠いがバスが走っている→2、車が無いと行けない→1
  • 満足度→攻城のトータル総評
  • 歴史→時代に影響を与えた歴史の舞台→5、有名な武将や合戦があった城→4
  • 整備:トイレの有無、城内の解説板、パンフレットのクオリティの評価
  • 城郭範囲:観覧範囲の広さと、遺構の残存度。見どころの多さにも直結

※全ての城にそれぞれの魅力があるのは前提での主観的評価になります。

名城スタンプと御城印

※スタンプ設置場所や御城印販売所の場所、営業時間は最新情報をご確認ください。
■日本100名城スタンプ
・久保田城御隅櫓内部
 開館時間:9:00~16:30

■御城印販売
・秋田市立佐竹資料館内
 開館時間:9:00~16:30

久保田城 周辺の天気

別名矢留城、葛根城、秋田城
城郭構造平山城
天守構造代用 (御出書院)
築城主佐竹義宣
築城年1604年(慶長9年)
主な城主佐竹氏
廃城年1880年(明治13年)
遺構土塁、堀、門、番所
指定文化財秋田市指定名勝:千秋公園(久保田城跡)
秋田市指定有形文化財:御物頭御番所
再建造物模擬本丸新兵具隅櫓、本丸表門(木造復元)

写真で見る久保田城

表門
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表門
表門
表門
穴門堀
大手門堀
御物頭御番所 内部
御隅櫓
御隅櫓から見た秋田市内
御隅櫓から見た男鹿半島
黒門跡
帯曲輪門跡
裏門跡
舟形手水鉢
本丸土塁(埋門跡前)
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マップ

アクセス

■公共交通機関
・JR奥羽本線/秋田新幹線「秋田駅」徒歩約10分

■車・バイク
・秋田自動車道「秋田中央IC」から15分

久保田城について

久保田藩主佐竹氏の居城である。矢留城、葛根城とも呼ばれている。江戸時代後期から明治時代の公式文書では「秋田城」と書かれることも多かったが、古代に出羽国府が置かれた秋田城とは所在地ともに別の城である。

名勝としての指定名称は「千秋公園(久保田城跡)」であり、「久保田城」が公式に使われている。

雄物川の支流である旭川の左岸、程野村窪田にある神明山(しんめいやま、標高40メートル)に築かれた平山城。石垣は基底部に僅かにあるのみでその上に土塁を盛られており(鉢巻土手)、天守も持たず塁上に「出し御書院」(だしおしょいん)または「御出書院」(おだししょいん)と呼ばれる櫓座敷を建ててその代わりとし、他に8棟の櫓を建て並べていた。

石垣が無いのは幕府に遠慮したためと言われるが、佐竹氏の旧領常陸国を含む東国ではもともと石垣を用いない築城法が一般的であったため、石垣作りに精通した者が家中に居なかったという説もある。

いずれにせよ、山川沼沢を巧みに利用し防御を図っており、水堀や円郭式城郭など西国の様式も採り入れられている。なお天守については、寛永10年(1633年)の火災以前には天守に相当する「御三階櫓」があったという説があるが、この時期の城内を描いた絵図などは残されておらず、確証は得られていない。

1880年(明治13年)の大火で城内の建造物はほぼ焼失しており、市街再建の過程で堀の多くも埋め立てられ、城下の中通を中心に秋田県初期の官庁街へと変貌した。現在は久保田城本丸・二の丸一帯は千秋地区で、千秋公園、三の丸はあきた芸術劇場ミルハスや秋田市立中央図書館明徳館、秋田市文化創造館、平野政吉美術館、秋田県立循環器・脳脊髄センターなどが整備されている。

知事公館は三の丸御殿の跡地に建てられている。

城郭に関する建造物としては、前述の大火を逃れ、かつ解体も移築もされなかった御物頭御番所が現存し、市の有形文化財に指定されている。また本丸新兵具隅櫓(御隅櫓)が再建されていて、本丸表門も木造復元されており、松下門・黒門についても木造復元計画がある。

移築された建造物としては、焼失を免れた裏門が楼門から平屋へと改修を受けた上で旭北寺町の鱗勝院に現存している。

構造

神明山の最高所を均して本丸とし、ここに藩主の居館である本丸御殿と政務所を置いた。周囲を多聞長屋と板塀で取り囲み、表門・裏門・帯曲輪門・埋門・切戸口という5箇所の出入口を設けた。

表門は一ノ門ともいい、そこから二の丸へ通じる手前に長坂門(二ノ門)があった。南西隅で岬のように突出した最高所の土地を「出し」と呼び、「出し御書院」「御出書院」という櫓座敷を設けた。

本丸東側の一段低い土地を二の丸とし、勘定所・境目方役所・祈祷所安楽院・時鐘・金蔵・厩などを置いた。外部からの出入りは全て二の丸に集まるようになっており、松下門・黒門・厩門(不浄門)・土門(北御門)という4箇所の出入口を設けた。それぞれ下中城、上中城、山ノ手、八幡山に通じる。現在は松下門跡が千秋公園の正面入口になっているが、藩政期の正式な登城の道は黒門を経由するものだった。

二の丸の北・東・南を取り囲むように三の丸があり、重臣屋敷を置いた。東部を上中城、南部を下中城、北東部を山ノ手(手形上町)という。山ノ手の西(本丸の北西)にある八幡山も三の丸に含まれるが、ここには重臣屋敷ではなく正八幡社(小八幡社)・稲荷社・別当寺金乗院を置いた。

八幡山の更に北側には北の丸があり、大木屋(おごや、木材加工所)と籾蔵を置いた。また、本丸西側で内外堀に挟まれ島状になった西曲輪(捨曲輪)には、兵具蔵を置いた。

本丸・二の丸を内堀で囲み(西兵具蔵前堀・南堀・東堀・北堀)、三の丸を外堀で囲んだ(八幡宮後堀・西兵具蔵外堀・東外堀・南外堀)。その他も北の丸の周囲(北の丸下堀・北の丸下北の方堀)、中通廓と亀の町廓・長野下の間(大堀)、亀の町廓と築地の間(上堀)、亀の町廓と楢山の間(下堀)などに堀を設けた。堀の多くは、旭川の旧河道である。

現在ではほとんど埋め立てられ、現存するものは南堀の一部、東堀の一部、西兵具蔵外堀の一部(穴門の堀)、南外堀の一部(大手門の堀)のみになっている。

城の直接的な機能を持つ本丸・二の丸・北の丸・西曲輪を総じて「一の廓」、重臣屋敷が設けられた三の丸を「二の廓」、同じく重臣・高禄の家臣の屋敷町となった中通を「三の廓」、それに続く亀の町を「四の廓」と呼び、土手・堀を持たないその他の侍町を「外廓」と呼んだ。但しこの分類は時期によって変遷がみられる。

一門や重臣の屋敷を丸の内から広小路や長野町・古川堀反町など本丸に近い町に配置し、楢山や保戸野など離れたところには主に小録の家臣を配置した。但し、門の近くなど重要な場所には重臣を置いた。侍町を総じて「内町」と称した。

町人町は「外町」(とまち)と呼ばれ、城の西側に旭川を挟んで配置した。内町は防衛のため屈曲・食い違いの多い道路線形になっているが、外町は交通の利便のため碁盤の目状に区画されている。

外町の更に西側へ寺院を集中的に設置した。

久保田城 周辺スポット

道の駅あきた港「ポートタワーセリオン」

セリオンタワー1階にあるマルシェです。地元秋田市の農家さん中心に一生懸命作った鮮度の良い旬の野菜や果物、漬物、加工品などがそろっております。

秋田名物きりたんぽ・稲庭うどんのお土産や各蔵の日本酒を取りそろえています。

展望台からは秋田市内、日本海を一望することができます。

旧松倉家住宅

松倉家は寛延2年(1749)頃に始まる商家で、当初は油屋を営み、明治になり大地主として穀物の取り扱いなども行っていました。
旧松倉家住宅は、主屋(明治39年)、米蔵(天保10年以前)、文庫蔵(慶応2年)、覆屋(おおいや)で構成される県内屈指の大規模な町家です。
江戸時代後期以降の秋田の町家形式をよく伝える貴重な建造物として、平成29年に秋田県の有形文化財に指定されました

旧秋田藩主佐竹氏別邸(如斯亭) 庭園

旧秋田藩主佐竹氏別邸(如斯亭)庭園は、元禄年間(1688~1704)にその起源があり、名君として名高い9代藩主・義和によって整備され、「如斯亭(じょしてい)」と名づけられました。

後に「東北では無二の名園」とも評され、藩主の御休所にとどまらず、多くの文人墨客の交遊の場としても活用されました。

平成19年(2007)に国の名勝に指定されました。

秋田市民俗芸能伝承館

竿燈まつりや土崎港曳山まつりなど、秋田市に伝わる民俗芸能を資料や映像で紹介しています。

5〜10月の土・日・祝に竿燈会による実演あり。左隣りは江戸時代後期の建築様式を残した町家・旧金子家住宅があります。

赤れんが郷土館

赤れんが郷土館は、赤れんが館・新館・収蔵庫の3つの建物から構成され、このうち旧秋田銀行本店として明治末期に建てられた赤れんが館は、外観はルネサンス様式、内部はバロック調の洋風建築で、国の重要文化財に指定されています。

天井に施された石こうのレリーフは圧巻で、各所に見られる漆喰や木彫による装飾、ふんだんに使われている各種大理石などが壮麗な雰囲気を醸し出しています。

久保田城 周辺宿泊施設

久保田城 周辺グルメ

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秋田県 城郭マップ

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