猪苗代城

磐梯山南麓の泥流地形突端部に築かれた平山城で、中世この地を支配した猪苗代氏が14代に渡って居城として治めました。
江戸時代には一国一城令の際にも城代がおかれ、幕末まで会津藩東の要とし残されました。戊辰戦争によって建物等は焼失してしまいましたが、明治時代に整備され今では亀ヶ城公園として整備されています。
2026年2月20日
亀ヶ城公園内の石垣に大型土のうを設置しました
猪苗代城の見どころ

南北朝から室町期にかけて築城され、400年に渡って猪苗代氏の居城となりました。
猪苗代氏は天正17年の摺上原合戦で伊達方につき、伊達政宗の領地替えと共にこの地を去りました。その後猪苗代城は、天正18年 豊臣秀吉の命により会津に入部した蒲生氏郷によって近世城郭へと改修され、江戸時代は会津藩の東を守る支城として存続し、幕末の戊辰戦争で焼失するまで、当地方支配の重要拠点として機能し続けました。
猪苗代氏は幕末まで仙台藩士として伊達家に仕えました。

猪苗代城は、幕末の戊辰戦争で会津の国境にある母成峠を新政府軍に突破されて、猪苗代城と神社の拝殿と本殿を燃やして、会津若松城へと退却したのです。建物は全て失われ、ここに猪苗代城の城としての役割は終わりました。
また、新選組は会津藩兵と共に県境の母成峠の守備に就いており、母成峠の戦いで会津軍は壊滅状態に陥ったため新撰組は猪苗代城まで後退しました。
その後、戊辰戦争で最も激戦だった会津戦争へと突入します。

猪苗代城は中世城郭の骨格を生かして近世城郭に改変したような城なので、遺構がMIXされています。門跡などの主要部は石垣がで形成されており、城郭全体には空堀や土塁、堀切などの戦国期を偲ばせる遺構が多く残っています。
大手の登城口に残る枡形には蒲生氏時代の野面積みの石垣が残り、大手櫓門跡には加工された先進的な石垣を見ることができます。
南側と西側には深いダイナミックな空堀、西側の鶴峰城との境目には堀切が残ります。

枡形虎口石垣

堀切

四脚門跡

雁木

大手櫓門跡

西側空堀

南側空堀

隅櫓石垣

鐘突堂

井戸跡
登城レポート

ポイント
- 中世城郭と近世城郭がMIXされており、深い空堀や高い土塁、堀切が残っている。また主要な門跡には石垣も多用されているので遺構の見どころは多い。
- 最寄りの猪苗代駅からは歩いて30分ほど。バスも走っているのでアクセスは及第点
- 猪苗代城と鶴峰城が連立しており、二つ合わせれば城郭範囲はそこそこ広いが、猪苗代城単体で見るとコンパクト
- 室町時代から始まり、幕末まで残った城ということで歴史のポイントは高い
平均:3.0
合計:18.0
- 遺構:遺構の多さ、貴重度
- アクセス(目安):新幹線が最寄り→5、駅が近い→4、駅から歩いて行ける距離→3、駅から遠いがバスが走っている→2、車が無いと行けない→1
- 満足度→攻城のトータル総評
- 歴史→時代に影響を与えた歴史の舞台→5、有名な武将や合戦があった城→4
- 整備:トイレの有無、城内の解説板、パンフレットのクオリティの評価
- 城郭範囲:観覧範囲の広さと、遺構の残存度。見どころの多さにも直結
※全ての城にそれぞれの魅力があるのは前提での主観的評価になります。
御城印販売
■土津神社
時間:10:00~17:00
→マップ
■奥州王(オンラインショップ)
→外部サイト

猪苗代城 周辺の天気
| 別名 | 亀ヶ城 |
|---|---|
| 天守構造 | 平山城 |
| 築城主 | 猪苗代経連 |
| 築城年 | 鎌倉時代初期? |
| 主な城主 | 猪苗代氏 |
| 廃城年 | 1868年(慶応4年) |
| 遺構 | 曲輪跡、堀跡、土塁跡・石垣 |
| 指定文化財 | 県指定史跡 |
写真で見る猪苗代城
マップ
アクセス
■公共交通機関
・JR磐越西線「猪苗代駅」徒歩30分
※猪苗代駅から路線バスあり
■車・バイク
・猪苗代磐梯高原ICから約10分
・JR磐越西線猪苗代駅より車で約5分
■駐車場
・猪苗代城専用 無料駐車場あり
猪苗代城の歴史
文治5年(1189年)の奥州合戦での戦功により、佐原義連は会津4郡を与えられた。その子・盛連の長男・大炊助経連は耶麻郡猪苗代を領して、猪苗代氏を称したと伝えられる。一方、旧仙台藩藩主・伊達家の『伊達世臣家譜』によれば、経連は、宝治2年(1248年)3月、将軍・藤原頼嗣に仕え、会津猪苗代麻谷庄5000余町を与えられ、猪苗代氏を称したという。
『会津温故拾要抄』、『耶麻郡誌』では、建久2年(1191年)、佐原経連が猪苗代八手山城を築き、亀ヶ城と称したとしている。しかし、『新編会津風土記』では、八手山館は白津の東北東の根岸山というところにあったとしており、『猪苗代町史』では、猪苗代城(亀ヶ城)と八手山館は別個のものとしている。築城時期も、宝治元年(1247年)の宝治合戦以降とみるべきと指摘している。
会津盆地を治めていた蘆名氏も佐原義連の血統で、猪苗代氏とは同族である。猪苗代氏は本家・蘆名氏に対しては、反逆と従属を何度も繰り返し、最終的には、天正17年(1589年)の摺上原の戦いの直前に、当時の当主・猪苗代盛国が伊達政宗に内応し、蘆名氏を滅亡に追い込むこととなった。豊臣秀吉の奥州仕置によって伊達氏が会津を離れると、盛国も猪苗代を離れ、約400年に及ぶ猪苗代氏の支配が終焉した。
その後、会津領主は蒲生氏郷、上杉景勝、蒲生秀行、蒲生忠郷、加藤嘉明、加藤明成と続く。猪苗代城は会津領の重要拠点として、江戸幕府の一国一城令発布の際もその例外として存続が認められ、それぞれの家中の有力家臣が城代として差し置かれていた。
蒲生氏郷のとき、同城には蒲生郷安が入った。九戸の乱の平定後、同城には、玉井貞右が入った。
慶長3年(1598年)1月、上杉景勝が会津に移封されると、同5年(1600年)春、今井源右衛門国広(または国清)が同城に入るが死去。後任として水原親憲が福島城から移った。
関ヶ原の戦い後、蒲生秀行が再入部すると、猪苗代城には関一利が7500石で入った。一利は、秀行が取り立てた岡重政と対立して、慶長14年(1609年)3月、蒲生家を去った。 関一利の後は、この岡重政が同城に入ったが、慶長18年(1613年)12月、駿府で死罪となった。
蒲生秀行時代の城代・岡左内は熱心なキリシタンとして知られ、猪苗代でもキリスト教を奨励していたが、彼の死後、江戸幕府のキリシタン弾圧政策によって猪苗代でも弾圧が行われた。
寛永20年(1643年)に保科正之が会津藩主となると、猪苗代城には城代が置かれ、また、正之の死後はその墓所(正之は城の北、土津神社に葬られた)の守護という重要な役目も担った。
慶応4年(1868年)の戊辰戦争の際、母成峠の戦いで西軍(薩摩藩・長州藩など)が東軍(会津藩・新撰組など)を破って、会津領へ侵入すると、当時の城代・高橋権大夫は城を焼き払って若松へ撤退し、建物は全て失われ、ここに猪苗代城の城としての役割は終わった。
戊辰戦争後、猪苗代城跡地は荒廃したままの状態だったが、明治38年(1905年)に小林助治ら町内の有志が日露戦争の戦勝記念として桜やツツジを植樹し、東屋や観月橋を公園として整備した。現在も春になると、花見でおおいに賑わっている。また、野口英世は幼少時代に城跡でたびたび友人と遊んでいたという。
平成13年(2001年)、城跡は「猪苗代城跡 附鶴峰城跡」として福島県指定史跡に指定された。
猪苗代城の構造
猪苗代城は、街の中心部の小高い丘に築かれた平山城で南北250メートル、東西200メートル、比高差30メートルの規模をもつ。現在は、本丸・二の郭・帯郭・石垣・土塁・空堀が残り、保存状態が比較的良好である。
構造は、丘の最上部の平坦地が本丸で周囲は土塁で囲まれており、その南側の一段下がったところが二の郭、さらに南に下ったところに南帯郭、本丸北と西の一段下った箇所に北帯郭と西帯郭がある。大手口は城の東麓部分で、ここには石垣を利用した巨大な枡形虎口が造られている。なお、この大手口の石垣は穴太積(あのうづみ)という技法が用いられていることから、蒲生氏によって造営されたと思われる。
鶴峰城
猪苗代城の北西の丘陵は鶴峰城と呼ばれる城跡である。土塁や空堀、石塁等の遺構が残されている。史料から推察すると、猪苗代氏の隠居城として用いられたと思われる。猪苗代城が近世以降も城として使用されたために、近世城郭へ改変されているのに比べ、鶴峰城は猪苗代氏が去った後は廃城となったため、戦国時代の城郭の構造をそのまま現在に伝えている。
猪苗代城 周辺スポット
土津神社
会津藩祖・保科正之公を祀った神社です。正之が寛文12(1672)年12月に亡くなると、遺言通り神社が造営されました。創建当初の神社は戊辰戦争の時に焼失しましたが、明治13(1880)年に現在の社が建てられました。境内にある亀石に載った石碑は日本最大のもので高さ7.3m、重量30tもあります。
猪苗代湖
日本では4番目に大きな湖で、面積は約103平方km、深さは約93mあります。
猪苗代湖の特長は透明度12~の澄んだきれいな水で、湖に注ぐ長瀬川が火山性の酸性水であるため、水質は弱酸性の貧栄養湖となっていて、水中の植物や藻があまり繁茂していないことに要因があります。
世界のガラス館
世界の手作りガラス製品を一同に集め、世界各国の直輸入品からオリジナル商品など、厳選された2万5000点にのぼるアイテムを一斉展示しており、日本最大級のガラス専門ギャラリーです。
敷地内には、国際ビール大賞金賞受賞の猪苗代地ビールをお楽しみいただける猪苗代地ビール館や、地元の銘菓やスイーツを集めた猪苗代おかし館を併設しています。
達沢不動滝
安達太良山系船明神山に源をもつ不動川にかかる名瀑で、滝元には不動尊を祀っています。岩肌に沿って水がスダレのように流れ落ちる勇壮な男滝と、その西側にひっそりとたたずむ優美な女滝が好対照を見せています。
中ノ沢温泉から車で約15分、さらに徒歩10分で行ける美しい滝ということで人気があります。
磐椅神社
最も古い記録によると、今から1200年ほど前に「陸奥国磐椅神に従四位下を贈る」とあるので、この地方にあって最も古い時代に建立された神社とされています。その後、幾たびか盛衰があって、万治2(1659)年会津藩初代藩主保科正之が参詣した際、自分の死後末社となることを告げて神事が行われました。その遺言により末社として土津神社に正之を祀りました。磐椅神社の南側には縄文時代の遺跡である「西峯遺跡」が広がっています。
五色沼
磐梯山噴火によって創られた湖沼群の中で最も有名なのが五色沼で「毘沙門沼」「みどろ沼」「弁天沼」「瑠璃沼」「青沼」「柳沼」などがあります。全長約4kmの遊歩道の木立の間に見え隠れするエメラルドグリーンの水面を追って歩くこのハイキングコースは、起伏が少なく一本道なので時間があったらぜひ歩いて見てください。
猪苗代城 周辺宿泊施設



























