多賀城【日本100名城】

多賀城は大和朝廷が蝦夷を制圧するため、軍事的拠点として築いた城柵です。平城宮跡(奈良県)、太宰府跡(福岡県)とともに日本三大史跡に数えられている。陸奥国府のほか、鎮守府が置かれた。
現在は国の特別史跡に指定され、政庁跡や城碑、復元された塀などが残されている。多賀城創建1300年を記念して、2025年に多賀城南門が復元された。さらに石碑が2024年に国宝になるなど、今注目度の高い史跡である。
2025年11月26日
宮城・多賀城の政庁 建物全てを復元へ かつて東北の政治や軍事の中心
2025年11月13日
「多賀城跡」平安時代のものとみられる“木材の塀”や“溝”が新たに見つかる
多賀城の見どころ

奈良・平安時代に陸奥国の国府が置かれたところで、奈良時代には鎮守府も併せ置かれました。神亀元年(724年)、大野東人(おおののあずまひと)によって創建され、11世紀の中頃に終焉を迎えるまで、古代東北の政治・文化・軍事の中心地としての役割を果たしました。
規模は、約900メートル四方で、周囲は築地塀で囲まれ、南・東・西に門が開いていました。ほぼ中央には、儀式などを行う政庁があり、発掘調査によって奈良・平安時代を通じて4時期の変遷があることがわかっています。

多賀城は巨大な敷地面積を誇り、幾つかの地区に分かれています。大畑地区には外郭東門跡、作貫地区には土塁と空堀跡などが整備されています。
近年 さらに整備が進められて、メインとなる城前地区には建物跡や塀跡が新たに復元されました。さらに外郭南門が復元され、多賀城の新しいスポットとなりました。
南門から政庁に向かうメインストレートとなる大路は、当時の雰囲気を感じることができます。
また、南門の近くには多賀城碑があり、762年に建立された多賀城を証明する古代文書として国宝に指定されている。

外郭 南門

政庁正殿 礎石

城前地区 建物跡

政庁南大路

空堀跡

東門跡と土塁

復元石垣

国宝 多賀城碑

塀跡

土塁
登城レポート

ポイント
- 国府多賀城駅から近いのでアクセスポイント高い
- 近年、城前地区を中心に整備が進んでいるので整備ポイント高い
平均:3.66
合計:22.0
- 遺構:遺構の多さ、貴重度
- アクセス(目安):新幹線が最寄り→5、駅が近い→4、駅から歩いて行ける距離→3、駅から遠いがバスが走っている→2、車が無いと行けない→1
- 満足度→攻城のトータル総評
- 歴史→時代に影響を与えた歴史の舞台→5、有名な武将や合戦があった城→4
- 整備:トイレの有無、城内の解説板、パンフレットのクオリティの評価
- 城郭範囲:観覧範囲の広さと、遺構の残存度。見どころの多さにも直結
※全ての城にそれぞれの魅力があるのは前提での主観的評価になります。
名城スタンプと御城印
※スタンプ設置場所や営業時間は最新情報をご確認ください。
■日本100名城スタンプ
・多賀城跡ガイダンス施設(多賀城南門南側)
時間:9:00~16:30(押印は管理事務所の閉所時も可能)
■御城印販売
・多賀城跡ガイダンス施設(多賀城南門南側)
・史都多賀城観光案内所(JR東北本線国府多賀城駅)

多賀城 周辺の天気
| 別名 | 多賀柵 |
|---|---|
| 城郭構造 | 古代城柵 |
| 築城主 | 大野東人 |
| 築城年 | 神亀元年(724年) |
| 遺構 | 政庁跡など |
| 指定文化財 | 国の特別史跡「多賀城跡 附 寺跡」 |
写真で見る多賀城
概要
多賀城(たがじょう)は、宮城県多賀城市にあった古代城柵。国の特別史跡に指定され(指定名称は「多賀城跡 附 寺跡」)、出土品は国の重要文化財に指定されている。多賀柵(たかのき)とも。
奈良時代より陸奥国府や鎮守府が置かれ、平安時代(11世紀中頃)まで東北地方の政治・軍事・文化の中心地であった。
奈良平城京の律令政府が蝦夷を支配するため、軍事拠点として松島丘陵の南東部分である塩釜丘陵上に設置した。平時は陸奥国を治める国府(役所)として機能した。
創建は神亀元年(724)、按察使大野東人が築城したとされる。8世紀初めから11世紀半ばまで存続し、その間大きく4回の造営が行われた。
第1期は724年 – 762年、第2期は762年 – 780年で天平宝字6年(762)藤原恵美朝狩が改修してから宝亀11年(780)伊治公砦麻呂の反乱で焼失するまで、第3期は780年 – 869年で焼失の復興から貞観11年(869年)の大地震(貞観地震)による倒壊および溺死者千人ばかりを出した城下に及ぶ津波被災まで、第4期は869年 – 11世紀半ばで地震及び津波被災からの復興から廃絶までに分けられる。
なお、多賀城の「城」としての記載は『日本三代実録』にある貞観津波の「忽至城下」が最後であり、翌貞観12年の同書には「修理府」、藤原佐世『古今集註孝経』の寛平6年(894)朱書「在陸奥多賀国府」ほかに「府」あるいは「多賀国府」と記載。
多賀城創建以前は、仙台郡山遺跡(現在の仙台市太白区)が陸奥国府であったと推定される。この国府のほか鎮守府が置かれ、政庁や食料貯蔵用の倉などを設け、附属寺院が築かれていた。
霊亀2年(716)には、移民によって黒川以北十郡が成立し、神亀元年(724)には陸奥国府は仙台郡山遺跡から多賀城に移された。北方の備えとして石巻平野から大崎平野にかけては天平五柵(牡鹿柵・新田柵・玉造柵・色麻柵・不明の1柵)を設置、これらは養老4年(720)、石背国・石城国・陸奥国に三分された陸奥国をふたたび統合し、多賀城という新国府の建設により、弱体化した陸奥国の支配強化を図った。
これにより、奈良時代の日本では平城京を中心に、南に大宰府、北に鎮守府兼陸奥国府の多賀城を建てて一大拠点とした。
近代の調査
多賀城跡とその周辺の調査が昭和36年(1961)から開始され、外郭は東辺約1000m、西辺約700m、南辺約880m、北辺約860m、築地塀や柵木列をめぐらせた政庁域が確認された。
その中心からやや南寄りに東西約106m、南北約170mの築地塀で囲んだ区域があり、主要な建物の跡と見られる礎石や柱穴が多数確認され、正殿と考えられた。
多賀城政庁東門跡に隣接して陸奥国百社を祀る陸奥総社宮がある。陸奥国一宮(いちのみや)鹽竈神社(塩竃神社)を精神的支柱として、松島湾・千賀ノ浦(塩竃湊)を国府津とする。
1966年4月11日、遺跡は国の特別史跡に指定された。その後も発掘調査が進展した結果、多賀城跡一帯とともに多賀城廃寺跡、館前遺跡、柏木遺跡、山王遺跡などを含む範囲が追加指定されている。
文化財・国宝
多賀城碑(古文書)
■1998年(平成10年)6月30日に国の重要文化財に指定
■2024年(令和6年)8月27日に国宝に指定
国の特別史跡
多賀城跡 附 寺跡1922年(大正11年)、国の史跡に指定
■1965年 史跡範囲の追加指定
■1966年 国の特別史跡に指定。
■1974年・1978年・1980年・1984年・1990年・1993年、史跡範囲の追加指定。
マップ
アクセス
■公共交通機関
・JR東北本線「国府多賀城駅」より政庁跡まで徒歩約10分。
■車・バイク
・最寄IC:三陸自動車道・多賀城IC
■駐車場
・無料専用駐車場あり
多賀城 周辺スポット
陸奥総社宮

鎮座年月は明でないが、此の地は往古陸奥国の府内(東門外)にして陸奥国府に属する総社である。
江戸時代になると仙台藩初代藩主の伊達政宗による領内寺社整備が行われ、陸奥総社宮には歴代藩主の尊崇が篤く、親拝代参などがあった。
多賀城碑

多賀城碑は、宮城県多賀城市の「多賀城跡」にある、762年に藤原朝狩が多賀城の修造を記念して建立した古代の石碑である。
神亀元年(724年)の創建や京からの距離が記され、日本三古碑の一つに数えられ、2024年に国宝に指定された。
多賀城 周辺宿泊施設





















