仙台城【日本100名城】

仙台城は標高約130mの山城で、慶長5年(1600)、伊達政宗によって築城。伊達家270年の居城。別名は青葉城。
東と南が断崖で守られた天然の要害で、本丸跡からは仙台市内と太平洋まで一望できる。
本丸北面石垣は圧巻で来城した人たちを魅了する。麓の大手門跡両側の石垣、三の丸後に残る水堀や清水門などの門跡、中門跡、本丸跡など、城郭としての見どころは多い。
建物は脇櫓が復元されているが、その脇櫓とともに現在、大手門の復元計画がある。
2026年5月19日
「仙台城に関する資料を探しています」 大手門復元に向け仙台市が呼びかけ
仙台城の見どころ

伊達政宗は、出羽国・陸奥国の戦国大名。伊達家17代当主で仙台藩の初代藩主です。若くして家督を継ぎ、豊臣秀吉に領地没収をされるまでは110万石以上まで領土を広げました。
関ヶ原の戦い後は徳川家の下で仙台藩62万石の基礎を築きました。政宗は武勇のみならず、和歌や茶の湯を嗜む教養人であり、独創的なファッションでも知られます。
享年70 今でも大人気の武将です。

仙台市内には伊達家に縁のある神社や寺院が点在しています。
▪️北山五山(伊達家 縁の寺院)
資福寺、東昌寺、覚範寺、光明寺、満勝寺
▪️伊達政宗が創建した神社
大崎八幡宮(国宝)
その他にも仙台城の建築物なども市内の寺院に移築されています。

本丸北壁石垣は高さ17mの大迫力。隙間なく積まれた切込接の石垣は必見です。
当時は本丸に三重櫓が4基もあがっていました。その本丸からは仙台市内、仙台平野、太平洋が一望できる絶景スポットになっています。
三の丸を囲む土塁と水堀も良好に残っているので注目です。
元は国宝で仙台空襲で焼失した大手門の復元プロジェクトが進行中!今後も見逃せません。

大手門脇櫓

三の丸土塁・水堀

清水門跡 石垣

本丸 北西石垣

本丸 北壁石垣

水ノ手門跡

西ノ門跡

二の丸石垣と土塀
登城レポート

ポイント
- 仙台市営地下鉄が近く、仙台駅からも比較的近いのでアクセスポイント高い
- 人気の戦国武将 伊達政宗が築城し、仙台藩の本拠だったので歴史ポイントは高い
- 城郭範囲は割と広いが遺構がやや少なめなので及第点
平均:3.16
合計:19.0
- 遺構:遺構の多さ、貴重度
- アクセス(目安):新幹線が最寄り→5、駅が近い→4、駅から歩いて行ける距離→3、駅から遠いがバスが走っている→2、車が無いと行けない→1
- 満足度→攻城のトータル総評
- 歴史→時代に影響を与えた歴史の舞台→5、有名な武将や合戦があった城→4
- 整備:トイレの有無、城内の解説板、パンフレットのクオリティの評価
- 城郭範囲:観覧範囲の広さと、遺構の残存度。見どころの多さにも直結
名城スタンプと御城印
■日本100名城スタンプ
・本丸跡の仙台城見聞館にて押印。
時間:9:00~17:00
■御城印販売
・青葉城本丸会館内
時間:9:00~16:00
・青葉城本丸内 護国神社



仙台城周辺の天気
| 別名 | 青葉城、五城楼 |
|---|---|
| 城郭構造 | 連郭式平山城 |
| 天守構造 | なし |
| 築城主 | 伊達政宗 |
| 築城年 | 1601年(慶長6年) |
| 主な改修者 | 伊達忠宗 |
| 主な城主 | 伊達氏 |
| 廃城年 | 1871年(明治4年) |
| 遺構 | 石垣、土塁、堀 |
| 指定文化財 | 国の史跡 |
| 再建造物 | 外観大手門脇櫓 |
写真で見る仙台城
マップ
交通アクセス
◾️公共交通機関
・JR東北本線・東北新幹線「仙台駅」下車。西口バスプールより仙台市営バス(るーぷる仙台)で約22分「仙台城跡」下車
・仙台市地下鉄東西線国際センター駅下車。徒歩25分。
◾️車・バイク
・東北自動車道「宮城IC」から約10分
■駐車場
・有料駐車場あり
仙台城について
慶長年間に伊達政宗が築城してから、廃藩置県・廃城令までの約270年に渡り伊達氏代々の居城であり、仙台藩の政庁であった。二代藩主伊達忠宗の代に完成した仙台城は約2万坪で、大藩にふさわしい大規模な城であった。
地震などによる損害を受けながらも修復を繰り返し、奥羽越列藩同盟盟主として戊辰戦争を経るも、一度も戦火を見ることなく城としての役割を終えて、明治維新を迎えた。その後は明治から大正にかけて陸軍用地となり多くの建築物が解体された。
数少ない遺構であった大手門、脇櫓、巽門は国宝(旧国宝)に指定されていたが、第二次世界大戦時の仙台空襲により焼失した。
仙台城跡の土地の権利関係は複雑であり、仙台城跡のうち仙台市が所有している区画(青葉山公園)はごく一部である。戦前の経緯から宮城県護国神社や国立大学法人東北大学が所有している区画が多く、現在でも本丸と二の丸の中に境界が存在している。
三の丸にある仙台市博物館の周囲には堀や石垣が見られる。ここから徒歩で青葉山の山道を登っていくと、山頂に築かれた巨大な本丸の石垣が目の前に現れる。本丸からは、東方面に仙台市中心部と仙台平野、天気が良ければ太平洋まで一望することが出来る。
北方面の二の丸跡地は現在は東北大学の敷地となっているが、このうち東側の東屋付近とロータリーの北東部分は同大学ではなく仙台市が所有する青葉山公園の飛び地となっている。
また、空襲で焼失した大手門や大手門脇櫓、土塀や明治時代に焼失した本丸御殿、門、櫓、土塀の木造復元計画もある。
歴史
仙台城は近世に伊達家が居城とした城郭である。仙台城ではないが、近世以前にも青葉山には城があったともいわれ、岩切城合戦を記した文書にある「虚空蔵城」は現在の仙台城の場所にあった山城という説もある。
伊達政宗は、関ヶ原の戦いの後、徳川家康の許しを得て千代に居城を移すことにした。1600年(慶長5年)12月、政宗は青葉山に登って縄張りを開始。地名を仙臺(新字体:仙台)と改めた。
新城は関ヶ原の合戦が迫る緊迫化した状況の中で計画が立てられ、千代城(仙台城)以外にも仙台に近い北目城を改築して本拠地にする構想も検討されていた(実際に慶長出羽合戦では北目城に陣が置かれている)。
しかし、北目城を本拠地として改築するには時間がかかると判断され、最終的には仙台を新しい本拠地とすることになった。 建設費の一部は、宮鉱山(現蔵王町)などで採掘された金で賄われた。
政宗が築いた仙台城は、本丸と西の丸からなる山城であり、天守台はあるが天守は持たなかった。これらの点で時代の流行に背を向けたが、結果として仙台城は、ビスカイノをして「日本の最も勝れ、又最も堅固なるものの一つ」と言わしめるほど、同時代に比類ない堅城となった。
しかし、山上にある本丸は街への往来が不便であった。そのため、伊達忠宗は1638年(寛永15年)に二の丸の造営に着手し、翌年には居所を二の丸に移した。二の丸は本丸と同じく広瀬川の内側にあるが、土地は平坦な場所である。
伊達家の当主はここに居住し、政務もここで執られた。時期は不明だが、これと前後して大手門脇、青葉山の麓に三の丸が作られた。これ以降、本丸が使われることは少なくなり二の丸が仙台城の中枢になった。
江戸時代を通じて、仙台城は火災や地震により何度か建物や石垣の一部を失い、その都度再建された。
戊辰戦争でも仙台が戦場になることはなかったため、仙台城は創建以来一度も攻撃を受けずに要塞としての役目を終えた。
1873年(明治6年)の「全国城郭存廃ノ処分並兵営地等撰定方」で仙台城は「存城」とされる。
これに先立つ1869年(明治2年)の版籍奉還で仙台城には勤政庁設置。1871年(明治4年)には東北鎮台が仙台城を本営にして駐屯。このとき本丸が破壊され、石材と木材が兵舎建設に流用。
後に東北鎮台は仙台鎮台と改称。さらに鎮台制が師団制にかわると、第二師団設置。
世界大戦末期の1945年(昭和20年)7月10日未明、アメリカ軍による仙台空襲の際、米軍のB29により投下された焼夷弾により、大手門、脇櫓(隅櫓)(当時国宝)、三の丸の巽門、衛兵所に使用中の二の丸表舞台楽屋などが全て焼失し、護国神社も焼失した
動画で見る仙台城
仙台城 周辺施設
宮城県知事公邸

瑞鳳殿

青葉神社

仙台城 周辺宿泊施設























