白石城【続日本100名城】

宮城県白石市にある白石城(益岡城)は、江戸時代に伊達家の重臣・片倉氏が治めた仙台藩南部の重要拠点。明治の廃城令によって解体されるが、平成7年(1995年)に全国でも珍しい木造で三階櫓や大手門が復元された。

幕末の慶応4(1868)年、新政府軍に対抗すため、仙台と米沢の間にある白石城では奥羽14藩が集まって「白石会議」が行われた。その後奥羽越列藩同盟が結ばれ、白石城には公議府が設置され輪王寺宮が滞城された。

白石城は日本の歴史の転換期に重要な役目を果たした城でもあった。

白石城の見どころ

歴史ポイント

大坂夏の陣で徳川家康を最後まで追い詰めるも散った、戦国のラストサムライ真田信繁(幸村)の子息は、伊達政宗によって保護されました。真田家の本家は長野県松代ですが、白石城で生き抜いた真田家は「仙台真田」と呼ばれ幕末まで繁栄します。
白石城には仙台藩主:伊達政宗、白石城主:片倉景綱、真田信繁の甲冑の展示やグッズなどが売っています。

遺構ポイント

天守(大櫓)や城門は本格的な木造の在来工法によって復元されました。一国一城令が発布後も仙台藩は多くの城(要害)を有していたが、現在建築物は残っていないので、かつての姿を見れるのは白石城のみです。
本丸大手二ノ御門はキュッと絞り込まれた特殊な形状をしているので、天守から確認するのがおススメ。

本丸井戸跡

本丸大手二ノ御門

棟門

伝統工法

天守(大櫓)

石垣

登城レポート

ポイント

  • 東北新幹線の白石蔵王駅も比較的近いのでアクセスは良好
  • 現在残っている城郭範囲は狭いが、伊達氏が争奪戦を行い、奥羽越列藩同盟が結ばれた城でもあるので歴史ポイントは及第点

平均:3.00
合計:18.0

  • 遺構:遺構の多さ、貴重度
  • アクセス(目安):新幹線が最寄り→5、駅が近い→4、駅から歩いて行ける距離→3、駅から遠いがバスが走っている→2、車が無いと行けない→1
  • 満足度→攻城のトータル総評
  • 歴史→時代に影響を与えた歴史の舞台→5、有名な武将や合戦があった城→4
  • 整備:トイレの有無、城内の解説板、パンフレットのクオリティの評価
  • 城郭範囲:観覧範囲の広さと、遺構の残存度。見どころの多さにも直結

名城スタンプと御城印

※スタンプ設置場所や御城印販売所の場所、営業時間は最新情報をご確認ください。
■日本100名城スタンプ
・白石城 天守内
・開館時間:(4月〜10月)9:00〜17:00、(11月〜3月)9:00〜16:00

御城印
・白石城歴史探訪ミュージアム事務所 
・開館時間:(4月〜10月)9:00〜17:00、(11月〜3月)9:00〜16:00

白石城 周辺の天気

別名益岡城、枡岡城
城郭構造梯郭式平山城
天守構造大櫓(三階櫓)複合式層塔型3重3階(1819年再、非現存。1995年木造復元)
築城主白石氏
築城年鎌倉時代
主な改修者藤原経清
主な城主白石氏、蒲生氏、甘糟景継、登坂勝乃(上杉氏)、片倉氏
廃城年1874年
遺構石垣、移築門、移築蔵
指定文化財白石市指定史跡
再建造物三階櫓、門、塀

写真でみる白石城

天守と天守台石垣
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天守と天守台石垣
大手一ノ門
大手一ノ門と天守(大櫓)
大手二ノ門
大手二ノ門と天守
天守から見た大手門
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マップ

アクセス

■公共交通機関
・JR東北本線「白石駅」から徒歩10分
・JR東北新幹線「白石蔵王駅」から徒歩25分

■車・バイク
・東北自動車道「白石IC」から10分

■駐車場
・城下広場 無料駐車場(81台)

白石城の立地

白石城は、奥羽山脈と阿武隈高地に囲まれた白石盆地の中にある独立丘陵地の北端、標高76メートルの地点に築かれた。ふもとの市街地との高低差は約20メートル。城の北方約1キロメートルのところを白石川が東へ流れる。

江戸時代の白石城下には奥州街道が南北に縦断し、この街道の北方面が仙台、南方面が福島、江戸だった。また、白石から西の米沢へ向かう道、東の相馬に通じる道があり、交通の要衝を押さえていたのも白石城の地理的特徴だった。

構造

白石城は平山城である。江戸時代の間、白石城は絵図に描かれており、時代の異なる絵図の比較から、白石城の城域は拡張傾向にあったとみられている。白石城は最終的に、丘陵の頂きに本丸、二の丸、中の丸、西曲輪、中段に沼の丸、南の丸、巽曲輪、帯曲輪、厩曲輪、平地部分に三の丸、外曲輪という六丸五曲輪構成になった。

本丸には大櫓(三階櫓)があった。正保年間の絵図では二階櫓が描かれ、寛文年間の絵図では三階櫓が描かれていることから、二階櫓から三階櫓に改造されたのではないかとも言われたが、天守は最初から三階櫓だった。三階櫓は天守の代用で、藩の支城という格と幕府への配慮から天守の名をはばかり大櫓と名づけられたとされる。

現存する白石城の遺構としては、厩口門が市内の延命寺山門に、東口門が市内の当信寺山門に、上屋敷の門かもしれないものが名取市の耕龍寺山門に、奥方御門かもしれないものと煙硝蔵が市内の個人宅に、それぞれ移築されている。土塁は当時のものがそのまま残っている。

白石城の歴史

白石城が、いつ、誰の手によって造られたのか、はっきりしたことはわかっていない。中世に刈田氏がここを居城としていたが、この時代の白石城についての史料は乏しい。刈田氏は後に白石氏を名乗り、やがて伊達氏の勢力下に組み込まれていった

豊臣秀吉によって奥州仕置が行われると、1591年(天正19年)より刈田郡は会津に封じられた蒲生氏郷の領地となり、白石城には氏郷の家臣蒲生郷成が入った。郷成により、白石城は近世的な城へと改造されて益岡城と呼ばれ、城下町も造られたと伝わるが、やはり史料が存在せず、全貌は明らかでない。

郷成は1595年(文禄4年)に白石から須賀川に移るが、この時に白石城は破却されたという伝承もある。1598年(慶長3年)、蒲生氏は宇都宮に移封された。これに代わって上杉景勝が会津へ入り、その家臣である甘糟景継が白石城主となった。この時の白石城について、良好な史料ではないともされるが、古城に縄張りして築城されたとする史料がある。

1600年(慶長5年)、徳川家康が上杉景勝を討たんとする会津征伐が起こると、家康に接近していた伊達政宗は上杉領に攻めかかり、白石城の戦いが起こった。甘糟景継に代わって城を守っていた登坂勝乃は伊達軍の攻勢の前に降伏し、刈田郡は再び伊達氏の領土となった

伊達氏の城となった白石城には、まず政宗の叔父・石川昭光が入ったが、1602年(慶長7年)12月、政宗の側近である片倉景綱が亘理から移り、1万8000石を領した。1615年(慶長20年)、江戸幕府が一国一城令を発するが、仙台藩では仙台城に加えて白石城の存続が認められ、白石城は明治時代まで片倉氏の城として残った。『片倉代々記』には、白石城の修繕が、主だったものだけでも約30回、記録されている。

1868年、戊辰戦争の際に奥羽諸藩の代表たちが白石城において白石列藩会議を開き、これが奥羽越列藩同盟の結成につながった。白石城には公議府が置かれ、北白川宮能久親王が滞在した。しかし、仙台藩は新政府軍に降伏し、白石城の明け渡しが行われた。1869年(明治2年)に白石藩が成立して、新政府に降った元盛岡藩主の南部利恭がここに移封されたが、利恭は旧領復帰を望みまもなく白石から去った。

白石城には三陸磐城両羽按察府が置かれ坊城俊章が城に入ったが、按察府は1870年(明治3年)に廃止されて、白石城は旧片倉家中開拓役所預かりとなった。その後、白石城は陸軍省、大蔵省の管轄を経て、1874年(明治7年)に民間へ売却され取り壊された。城の取り壊しからしばらく経った1900年(明治33年)、城跡は益岡公園となった。

縄張り

▪️梯郭式平山城
白石城は本丸は石垣で形成されているが、明治の廃条令で石垣も破壊されてしまった。現在の石垣は天守復元に先立って復元されました。

出典元:余湖くんのホームページより

管理人:つぶやき城ー
管理人:つぶやき城ー

MEMO
白石城のシンボル的存在の天守(大櫓)は、戦後の木造復元天守としては高さ、広さとも日本最大級を誇ります。

白石城 周辺スポット

小原温泉

白石川の上流、V字型の渓谷に寄り添う小原温泉は、平安時代後期に源義経の家臣・常陸坊海尊(ひたちぼうかいそん)が発見したと伝えられ、約800年もの長い歳月、人々を癒やし続けてきました。

武家屋敷

白石城の北側、三の丸外堀にあたる沢端川に面した閑静な住宅街の一角に、片倉家の奥方用人として仕えた旧小関家があります。
城下町の風情が色濃く残る武家屋敷周辺は散策にもおすすめです。白石城からも近いのでセットで周ることができます。

白石城歴史探訪ミュージアム

白石城のある益岡公園にあり、1階にはチケット販売窓口のほか、白石の地場産品と白石城のお土産を中心とした売店と、食事がとれるレストランがあります。
2階には展示室があり、白石城と周辺の城下町を復元した500分の1の模型や片倉家ゆかりの甲冑、刀剣、火縄銃など白石城のさまざまな視点から紹介する展示コーナーとなっております。

検断屋敷(材木岩公園)

七ケ宿の宿駅の一つ、白石市上戸沢にあった木村家の母屋を、材木岩公園内に移築・復元したもの。木村家は、上戸沢宿の伝馬や宿駅関係を取り締まる検断役を勤めた家で、本陣に準ずる役割を担っていました。
県の有形文化財に指定されてます。
そば処が隣接しており、天然記念物材木岩の雄大な景色を眺めながら手打ちそばが味わうことができます。

白石城 周辺宿泊施設

白石城 周辺グルメ

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管理人:つぶやき城ー
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MEMO
白石市のご当地グルメは温麺(うーめん)。
温麺は油を使わずに延ばした素麺の一種で、今から約400年前 江戸時代初期に胃を病んだ父親のために息子が考案し、消化によく優しい味わいから「温かい麺」という意味で温麺と名付けられた伝承があります 。

宮城県の城を攻める

宮城県

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多賀城【日本100名城】: 38.306247, 140.988493
仙台城【日本100名城】: 38.253128, 140.856764
白石城【続日本100名城】: 38.002554, 140.617211
岩出山城(いわでやまじょう): 38.655356, 140.862837
涌谷城(わくやじょう): 38.546691, 141.130071
利府城(りふじょう): 38.336133, 140.981133
岩切城(いわきりじょう): 38.313806, 140.939725
金山城(かねやまじょう): 37.898596, 140.801554
若林城(わかばやしじょう): 38.238325, 140.902448
千石城(せんごくじょう): 38.505716, 141.053284
田手岡館跡(たておかやかた): 38.401292, 140.845150
上楯城(かみたてじょう): 38.173272, 140.711689
松森城(まつもりじょう): 38.317341, 140.919914
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多賀城【日本100名城】
多賀城(たがじょう)【多賀城市】
大和朝廷が蝦夷を制圧するため、軍事的拠点として築いた城柵。平城宮跡(奈良県)、太宰府跡(福岡県)とともに日本三大史跡に数えられている。



遺構:政庁跡、築地塀、門跡、土塁、横堀
復元建築:南門・築地塀
縄張り:政庁(国指定特別史跡)
多賀城データベース
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仙台城【日本100名城】
仙台城【仙台市】
伊達政宗が築城し、約270年にわたり伊達氏代々の居城で仙台藩62万石の政庁となった。仙台城は約2万坪で、徳川家康の江戸城に次ぐ大きさを誇る全国最大級の城だった。



遺構:石垣・土塁・堀
復元建築:大手門脇櫓
縄張り:連郭式 平山城(国指定史跡)

仙台城データベース

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白石城【続日本100名城】
白石城【白石市】
伊達家の重臣 片倉景綱の居城で仙台藩の要となった城。一国一城令が敷かれる中、特例として認められた数少ない城のひとつ。天守(大櫓)や城門が木造復元されている。



遺構:石垣・移築門・移築蔵
復元建築:大櫓・門・塀
縄張り:梯郭式 平山城(市指定史跡)
白石城データベース
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岩出山城(いわでやまじょう)
岩出山城【大崎市】
伊達政宗が仙台城を築く前の居城で、政宗が転封前に徳川家康が岩手沢城(岩出山城)に入城し、その命を受けた榊原康政によって縄張・改築され名を岩出山城と改めた。



遺構:土塁・空堀
縄張り:山城
岩出山城データベース
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涌谷城(わくやじょう)
涌谷城【涌谷町】
涌谷伊達家の居城で江戸時代には仙台藩21要害の一つだった。城内には県内で唯一の遺構である隅櫓(太鼓堂)が現存しており、城内に建てられた模擬天守には涌谷伊達氏の資料などが展示されている。



遺構:隅櫓(太鼓堂)・石垣・空堀
復元建築:天守(模擬天守)
縄張り:平山城
涌谷城データベース
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利府城(りふじょう)
利府城【利府町】
伊達政宗の叔父 留守政景の居城とで村岡城と呼ばれていた。現在城址は館山公園として整備されており、石碑と案内板が設置されている。町の住所など城の名残が残る。



遺構:曲輪・空堀・土塁
縄張り:山城
利府城データベース
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岩切城(いわきりじょう)
岩切城【仙台市】
戦国時代末期には、伊達政宗が東北地方南部を征服し、叔父の留守政景を岩切城主とし、元亀年間に政景は居城を利府城に移した為、岩切城は廃城となる。



遺構:曲輪・空堀・堀切
縄張り:山城(国指定史跡)
岩切城データベース
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金山城(かねやまじょう)
金山城【丸森町】
金山城は相馬氏と伊達氏との間で争奪戦が展開された「境目の城」。1581年に伊達政宗が初陣を飾った城でも有名。伊達政宗の家臣である中島氏が明治維新まで居住した。



遺構:曲輪・土塁・石垣
縄張り:山城(町指定史跡)
金山城データベース
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若林城(わかばやしじょう)
若林城【仙台市】
一国一城令が発布後に伊達政宗晩年の城として築かれ、政宗の死後に廃された。現在は宮城刑務所となっており立ち入ることはできず、フェンス越しに土塁と堀跡のみ見ることができる。



遺構:土塁
移築建築:市内の松音寺に城門が移築
縄張り:平城
若林城データベース
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千石城(せんごくじょう)
千石城【大崎市】
千石城は南端頂部の本丸から二ノ丸・三ノ丸と続く縄張で、 城内で最も広い北端の三ノ丸に近世当初に居館が置かれていた。三ノ丸から南へ遊歩道があり堀切で区画されている。



遺構:曲輪・腰曲輪・土塁・堀切
縄張り:山城
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田手岡館跡(たておかやかた)
田手岡館【大和町】
仙台藩主伊達忠宗の八男宗房が田手肥前守高実の娘婿となって後を継ぎ、後に伊達姓を賜り宮床伊達氏となった。この宮床伊達氏の居所として築かれたのが田手岡館で、仙台藩が行った要害制では「所(ところ)」に位置づけられた。



遺構:曲輪・土塁・横堀・堀切・石積み
縄張り:城館(丘城)
【田手岡館データベース】
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上楯城(かみたてじょう)
上楯城【川崎町】
伊達家家臣の支倉常正によって築かれた城。孫は慶長遣欧使節団を率いてヨーロッパを渡航した支倉常長。常長は青年期を上楯城で過ごしている。土塁と巨大な空堀が残る。



遺構:曲輪・土塁・堀
縄張り:連郭式 平山城
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松森城(まつもりじょう)
松森城【仙台市】
城主は国分家17代当主 盛重で、天正年中頃まで居住。二の丸には盛重の家臣高平大学が住んでいたと記録されている。盛重は伊達政宗の叔父にあたり、病と称し政宗の命に従わなかった為、政宗の忌諱にふれて国分家は没落した。



遺構:曲輪・土塁・堀切
縄張り:連郭式 山城