涌谷城は亘理氏(涌谷伊達家)の居城として知られています。城内には県内で唯一の遺構である隅櫓(太鼓堂)が現存しています。
現在、城址は涌谷町城山公園として整備されており、模擬天守が建てられています。
涌谷城跡は桜の名所になっており、城山公園と江合川堤防の桜が咲き誇ります。
史料館では、涌谷伊達家関係を中心に、町内の歴史・民俗資料等を展示しています。
涌谷城の見どころ

石垣

太鼓堂

本丸跡

二の丸跡
涌谷城カルテ
■攻略のレーダーチャート(ポイント)
■ポイント
- 遺構はほぼ残っていないが、仙台藩の城と要塞では唯一の現存建築と、貴重な石垣が残っている。
- JR涌谷駅からも歩いていける距離なのでアクセスポイントは高いが、仙台市内からは離れている
平均:53/100 ポイント
合計:320/600 ポイント
おススメ度:★★★☆☆☆
■見どころバロメーター
■宮城県 主要城郭との比較(ポイント)
※全ての城にそれぞれの魅力があります。当サイト独自のデータになります。

写真でめぐる お城ツアー
涌谷城の御城印
※スタンプ設置場所や御城印販売所の場所、営業時間は最新情報をご確認ください。
御城印販売
・涌谷城天守閣 受付で購入
開館時間 9:00~16:00(入館は15:30分まで)
休館日 毎週水曜日 ※12月~3月は休館
・涌谷町くがね創庫
開館時間 9:00分~17:00分まで(入館は16:30分まで)
※12月から翌年3月まで販売


涌谷城 周辺の天気
| 別名 | 涌谷要害 |
|---|---|
| 城郭構造 | 平山城 |
| 築城主 | 涌谷氏 |
| 主な改修者 | 亘理重宗、亘理定宗 |
| 主な城主 | 亘理氏(涌谷伊達氏) |
| 遺構 | 隅櫓(太鼓堂)、石垣、空堀 |
写真で見る涌谷城
マップ
アクセス
■公共交通機関
・JR石巻線「涌谷駅」徒歩13分
■車・バイク
・東北自動車道「古川IC」より約20km
・三陸自動車道「松島北IC」より約20km
■駐車場
・無料駐車場有り
涌谷城について
仙台平野(仙北平野、大崎平野)を東流する江合川(北上川水系)が、篦岳丘陵から南に延びる小規模な樹枝状丘陵にぶつかってやや南に向きを変え、同丘陵に沿って流れる区間がある。
涌谷城はこの区間の同丘陵上にあり、標高約5mを流れる江合川に西側から南側を守られた、標高約20mの舌状地を城内とする。 色川家や中里家、鎌田家などが城下町に来場したときなどの世話をしたとも言われている。
もともとは大崎氏の家臣の涌谷氏が所有していたが、豊臣秀吉の天下統一に伴い木村氏を経た後、伊達氏の家臣亘理氏の居城になる。2代重宗、3代定宗を経て城郭を整備し、後に定宗は伊達氏を名乗ることを許されるまでになった(涌谷伊達氏)。
しかし、定宗の後を継いだ伊達宗重が後継者問題などで原田宗輔と対立し、遂には殺害されてしまう(伊達騒動)。
現在は城山公園となっていて、春は桜の名所として知られる。城内には隅櫓(太鼓堂)が現存し、県内で唯一の城郭遺構となっている。
その隣に三層櫓に似た天守風の建物(資料館)があるが、いわゆる疑似天守(実在した天守を再現したものではない)である。
涌谷城 周辺スポット
見龍寺・見龍廟
天正19年(1591)亘理重宗が涌谷の領主になった時、京都にある妙心寺の梁岩を招いて中興開山し、円同寺と称していました。寛文11年(1671)、伊達安芸宗重の死去に伴って見龍寺と改め、法灯などを加えて境内を整え現在にいたっています。
吉祥殿の本尊は文殊大士繍像で、左右の壇上には伊達安芸重宗以降の涌谷城主とその夫人の位牌が安置されています。
箟峯寺(こんぽうじ)
奥州三十三霊場第九番札所として有名な箟峯寺の所在地は、古来殺生禁断、女人禁制の聖地で、大門から一歩ふみこめば、罪人も捕らえられなかったと言われ、ただ一つの村外地でした。
箟岳観音は奥州三観音の一つで、大同2年(807年)坂上田村麻呂建立と伝えられ、本尊は十一面観音像(秘仏)で、三十三年に一度ご開帳されます。
天平ろまん館
749年に日本で初めて金が産出された「黄金山産金遺跡」に隣接し、その歴史を学んで砂金採り体験もできる体験型歴史館です。奈良東大寺の大仏建立に貢献した金にまつわる資料展示や、昔ながらの「椀がけ法」による砂金採りが家族連れに人気です。
館内には歴史を学ぶ展示室となっています。
延喜式内黄金山神社
国指定史跡黄金山産金遺跡の地内にある延喜式内黄金山神社。
10世紀初め頃にまとめられた『延喜式』に記載があります。現在の拝殿は、産金地涌谷説を提唱した沖安海の呼びかけによって、天保8年(1838)に再興されたもので、町の指定文化財です。
追戸横穴歴史公園
追戸横穴歴史公園は小田郡内(現遠田郡の東半分)に造られた古代墓です。
岩盤に横穴を掘って造る形のお墓で出土品の数々から、この古代墓群は奈良時代から平安時を中心に盛んに作られ、埋葬された人々は一般の人々ではなく小田郡の郡役所や小田軍団の関係者等、有力者だったと推測されています。
涌谷城 周辺宿泊施設

涌谷城 攻城の拠点
宮城県の城を攻める























