岩出山城
天正19年(1591)、豊臣秀吉による奥州仕置で伊達政宗が米沢城から岩出沢に移り、その名を岩出山に改めめました。城や城下町を整備し、慶長8年(1603)に仙台城へ移るまでの12年間、この地は政宗の本拠として領国経営の中心となりました。
その後は、四男の伊達宗泰が入り、岩出山伊達家の拠点として明治維新まで続きました。そして岩出山城は伊達家初期の領国経営を支える拠点となりました
Contents
岩出山城の見どころ

小田原征伐後に豊臣秀吉は奥州仕置きを行いました。
しかし、検地・刀狩りなどへの不満から葛西大崎一揆が発生します。 この一揆への関与を疑われた伊達政宗は、翌1591年に米沢から大崎に移封されました。
移封に先立ち、徳川家康は岩手沢城に約40日滞在し、その間に城の縄張りや改修修築を行った後に伊達政宗への引渡しを行ったと伝わります。 仙台城築城までの12年間伊達政宗の居城となりました。

岩出山城は城山公園として整備されているので、どこまでが遺構で、どこまでが公園による整備かを判断するのが難しいのですが、曲輪跡の平坦や土塁、大空堀、堀切などが残ります。
山麓の平城には岩出山高等学校と大崎市立岩出山小学校として利用されています。
城山公園には仙台城跡に置かれていた伊達政宗のコンクリート像が移設されています。

内門跡

切岸

有備館

本丸跡
MEMO
岩出山城の山麓には仙台藩の藩校のひとつである有備館が置かれ、庭園と共に史跡に指定されています。有備館の建物は現存する最古の藩校とされます。
登城レポート

ポイント
- 公園整備によって城郭としては改変されているので、遺構と城郭範囲ポイントは低い
- パンフレットや現地の解説板があまりないので整備ポイントは低い
- 徳川家康が縄張り、伊達政宗の居城だったので歴史ポイントは高い
平均:2.5
合計:15.0
- 遺構:遺構の多さ、貴重度
- アクセス(目安):新幹線が最寄り→5、駅が近い→4、駅から歩いて行ける距離→3、駅から遠いがバスが走っている→2、車が無いと行けない→1
- 満足度→攻城のトータル総評
- 歴史→時代に影響を与えた歴史の舞台→5、有名な武将や合戦があった城→4
- 整備:トイレの有無、城内の解説板、パンフレットのクオリティの評価
- 城郭範囲:観覧範囲の広さと、遺構の残存度。見どころの多さにも直結
※全ての城にそれぞれの魅力があるのは前提での主観的評価になります。
岩出山城 御城印
※スタンプ設置場所や御城印販売所の場所、営業時間は最新情報をご確認ください。
■御城印販売
・サラダ館大崎岩出山店
宮城県大崎市岩出山浦小路8-3
・花山太右衛門商店
宮城県大崎市岩出山字二の構147

岩出山城 周辺の天気
| 別名 | 臥牛城、岩手沢城、岩出山要害 |
|---|---|
| 城郭構造 | 山城 |
| 天守構造 | なし |
| 築城主 | 氏家直益 |
| 築城年 | 応永年間(1394年-1428年) |
| 主な改修者 | 徳川家康 |
| 主な城主 | 氏家氏、萩田氏、伊達氏 |
| 廃城年 | 1868年 |
| 遺構 | 土塁、空堀、堀切、石垣、虎口、曲輪 |
| 指定文化財 | 未指定 |
| 再建造物 | なし |
写真で見る岩出山城
マップ
アクセス
■公共交通機関
・JR陸羽東線「岩出山駅」または「有備館駅」徒歩約15分
■車・バイク
・東北自動車道「古川IC」より車で約20分
■駐車場
・無料駐車場有り
岩出山城について
1590年(天正18年)小田原城攻略後の豊臣秀吉は、奥州仕置を行う。 これにより旧葛西・大崎領12郡は木村吉清・清久父子の領となるが、検地・刀狩りなどへの不満から一揆が発生する(葛西大崎一揆)。
この一揆への関与を疑われた伊達政宗は秀吉により無罪とされるものの、翌1591年(天正19年)に、米沢から葛西・大崎旧領に移封されることとなる。 移封に先立ち、当時奥州の検地を行っていた徳川家康は岩手沢城に約40日滞在し、その間に城の縄張りや改修修築を行った後に伊達政宗への引渡しを行ったと言われる。
尚この時に「岩手沢」から「岩出山」へと改められた。 以後仙台城築城までの12年間伊達政宗の居城となる(この時期、伊達政宗は「大崎少将」を名乗った)。
岩出山は奥大道の経路から外れており、1601年(慶長5年)より政宗は仙台城を築き、移った。その後、岩出山城は政宗の四男の宗泰を初代とする岩出山伊達家が居住する要害になり、明治維新までつづいた。
なお、岩出山城には仙台藩の藩校のひとつである有備館が置かれ、庭園とともに史跡に指定されている。有備館の建物は現存する最古の藩校とされる。
現在、城跡には有備館のほかに曲輪跡の平坦や土塁、大空堀、堀切、石垣を伴う虎口、が残るが、公園として手が加えられ過ぎている反面、城跡としての説明版などの整備は欠けている。また、城山公園、宮城県岩出山高等学校と大崎市立岩出山小学校として利用されている。
城山公園には伊達政宗のコンクリート像(平和像)がある。これはもともと第2次世界大戦における金属類回収令で銅像を失った仙台城跡に置かれていたものだが、1962年に移設されたものである。
仙台城の騎馬像に対して、岩出山城の平和像は起立した形で、1954年に柳原義達が製作し、小野田セメントが材料を無償で提供した。
岩出山城 周辺スポット
有備館
慶長6年(1601)、伊達政宗は仙台城に移り、岩出山は政宗の四男宗泰を初代とする岩出山伊達家が代々伊達一門として治めました。
「有備館」は、江戸時代の仙台藩家臣である岩出山伊達家が開設した学問所で、開設されたのは10代邦直が当主であった嘉永3年(1850)頃と考えられます。
庭園内にある建物「御改所」は、2代宗敏の隠居所として延宝5年(1677)頃に建てられたとする説が有力です。
鳴子峡
大谷川が刻んだ深さ100メートルに及ぶ大峡谷。
春から夏にかけて緑が美しく、例年10月中旬から11月中旬にかけては、赤や黄色の美しい紅葉に染まります。
鳴子峡遊歩道は、中山平側入口(鳴子峡レストハウス)から回顧橋までと、鳴子側入口(大谷橋)から約230メートル地点までとなります。
尿前の関(尿前御番所跡)
戦国時代には出羽の最上と境を接する 尿前 (しとまえ )の岩手の森に、岩手の関がありました。
伊達藩になってから 尿前 (しとまえ )境目と呼ばれ、寛文10年(1670年)尿前番所を設置、岩出山伊達家から横目役人が派遣され、厳重な取り締まりが行なわれました。
松尾芭蕉と門人曽良は元禄2年(1689年)、この関所であやしまれ厳しい取調べを受け、ようやく通過しています。
温泉の街
岩出山城の近くは温泉郷が幾つもあります。
鳴子温泉
温泉の泉質は多彩で、種類の豊富さ・源泉数の多さは日本有数です。
歴史は古く、「続日本後記」に承和4年(837年)4月に潟山が大爆発をして温泉が湧き出したとあり、温泉宿の開湯は江戸時代中期頃と伝えられて、湯治場として多くの人々に親しまれました
川渡温泉
鳴子温泉郷の東の玄関口にある川渡(かわたび)温泉は開湯1000年以上。古くから脚気川渡「かっけかわたび」の名で親しまれてきました。国民保養温泉地にも指定され春の菜の花畑など自然豊かで閑静な温泉街です。
鬼首(おにこうべ)温泉
鬼首温泉は肌に優しい単純泉。
無色透明でとろっとした肌触りのお湯が体にしみます。
食事は地元の食材を使って鬼首ならではの滋味あふれる料理からオシャレなコース料理まで、どのお宿も自慢料理が並びます。
東鳴子温泉
東鳴子温泉(ひがしなるこおんせん)・東鳴子温泉観光協会の公式ウェブサイト。「東鳴子温泉観光協会」は東鳴子地区の旅館、商店が任意で加盟し運営している会員組織。東北・宮城県大崎市「東鳴子温泉」は宮城県の北に位置する古来より湯治や長期療養滞在、宿泊、日帰り入浴もできる宮城の有名な温泉(湯治場)です。
中山平温泉
東北の宮城県に位置する鳴子温泉郷の中山平温泉は、古来より湯治が盛んないで湯で、環境省指定の国民保養温泉地です。全国11種類の泉質のうち、5種の豊富な源泉が楽しめ、美肌の湯・美人の湯として知られています。
アルカリ度の高い、ぬるぬるした感触が得られる湯のため、ウナギ湯という名称でも親しまれています。
岩出山城 周辺宿泊施設

岩出山城 周辺グルメ
宮城県の城を攻める
loading map - please wait...
| 多賀城【日本100名城】 多賀城(たがじょう)【多賀城市】 大和朝廷が蝦夷を制圧するため、軍事的拠点として築いた城柵。平城宮跡(奈良県)、太宰府跡(福岡県)とともに日本三大史跡に数えられている。 ![]() 遺構:政庁跡、築地塀、門跡、土塁、横堀 復元建築:南門・築地塀 縄張り:政庁(国指定特別史跡) 【多賀城データベース】 | |
| 仙台城【日本100名城】 仙台城【仙台市】 伊達政宗が築城し、約270年にわたり伊達氏代々の居城で仙台藩62万石の政庁となった。仙台城は約2万坪で、徳川家康の江戸城に次ぐ大きさを誇る全国最大級の城だった。 ![]() 遺構:石垣・土塁・堀 復元建築:大手門脇櫓 縄張り:連郭式 平山城(国指定史跡) | |
| 白石城【続日本100名城】 白石城【白石市】 伊達家の重臣 片倉景綱の居城で仙台藩の要となった城。一国一城令が敷かれる中、特例として認められた数少ない城のひとつ。天守(大櫓)や城門が木造復元されている。 ![]() 遺構:石垣・移築門・移築蔵 復元建築:大櫓・門・塀 縄張り:梯郭式 平山城(市指定史跡) 【白石城データベース】 | |
![]() | 岩出山城(いわでやまじょう) 岩出山城【大崎市】 伊達政宗が仙台城を築く前の居城で、政宗が転封前に徳川家康が岩手沢城(岩出山城)に入城し、その命を受けた榊原康政によって縄張・改築され名を岩出山城と改めた。 ![]() 遺構:土塁・空堀 縄張り:山城 【岩出山城データベース】 |
![]() | 涌谷城(わくやじょう) 涌谷城【涌谷町】 涌谷伊達家の居城で江戸時代には仙台藩21要害の一つだった。城内には県内で唯一の遺構である隅櫓(太鼓堂)が現存しており、城内に建てられた模擬天守には涌谷伊達氏の資料などが展示されている。 ![]() 遺構:隅櫓(太鼓堂)・石垣・空堀 復元建築:天守(模擬天守) 縄張り:平山城 【涌谷城データベース】 |
![]() | 利府城(りふじょう) 利府城【利府町】 伊達政宗の叔父 留守政景の居城とで村岡城と呼ばれていた。現在城址は館山公園として整備されており、石碑と案内板が設置されている。町の住所など城の名残が残る。 ![]() 遺構:曲輪・空堀・土塁 縄張り:山城 【利府城データベース】 |
![]() | 岩切城(いわきりじょう) 岩切城【仙台市】 戦国時代末期には、伊達政宗が東北地方南部を征服し、叔父の留守政景を岩切城主とし、元亀年間に政景は居城を利府城に移した為、岩切城は廃城となる。 ![]() 遺構:曲輪・空堀・堀切 縄張り:山城(国指定史跡) 【岩切城データベース】 |
![]() | 金山城(かねやまじょう) 金山城【丸森町】 金山城は相馬氏と伊達氏との間で争奪戦が展開された「境目の城」。1581年に伊達政宗が初陣を飾った城でも有名。伊達政宗の家臣である中島氏が明治維新まで居住した。 ![]() 遺構:曲輪・土塁・石垣 縄張り:山城(町指定史跡) 【金山城データベース】 |
![]() | 若林城(わかばやしじょう) 若林城【仙台市】 一国一城令が発布後に伊達政宗晩年の城として築かれ、政宗の死後に廃された。現在は宮城刑務所となっており立ち入ることはできず、フェンス越しに土塁と堀跡のみ見ることができる。 ![]() 遺構:土塁 移築建築:市内の松音寺に城門が移築 縄張り:平城 【若林城データベース】 |
![]() | 千石城(せんごくじょう) 千石城【大崎市】 千石城は南端頂部の本丸から二ノ丸・三ノ丸と続く縄張で、 城内で最も広い北端の三ノ丸に近世当初に居館が置かれていた。三ノ丸から南へ遊歩道があり堀切で区画されている。 ![]() 遺構:曲輪・腰曲輪・土塁・堀切 縄張り:山城 |
![]() | 田手岡館跡(たておかやかた) 田手岡館【大和町】 仙台藩主伊達忠宗の八男宗房が田手肥前守高実の娘婿となって後を継ぎ、後に伊達姓を賜り宮床伊達氏となった。この宮床伊達氏の居所として築かれたのが田手岡館で、仙台藩が行った要害制では「所(ところ)」に位置づけられた。 ![]() 遺構:曲輪・土塁・横堀・堀切・石積み 縄張り:城館(丘城) 【田手岡館データベース】 |
![]() | 上楯城(かみたてじょう) 上楯城【川崎町】 伊達家家臣の支倉常正によって築かれた城。孫は慶長遣欧使節団を率いてヨーロッパを渡航した支倉常長。常長は青年期を上楯城で過ごしている。土塁と巨大な空堀が残る。 ![]() 遺構:曲輪・土塁・堀 縄張り:連郭式 平山城 |
![]() | 松森城(まつもりじょう) 松森城【仙台市】 城主は国分家17代当主 盛重で、天正年中頃まで居住。二の丸には盛重の家臣高平大学が住んでいたと記録されている。盛重は伊達政宗の叔父にあたり、病と称し政宗の命に従わなかった為、政宗の忌諱にふれて国分家は没落した。 ![]() 遺構:曲輪・土塁・堀切 縄張り:連郭式 山城 |



































