天正19年(1591)、豊臣秀吉による奥州仕置で伊達政宗が米沢城から岩出沢に移り、その名を岩出山に改めめました。城や城下町を整備し、慶長8年(1603)に仙台城へ移るまでの12年間、この地は政宗の本拠として領国経営の中心となりました。
その後は、四男の伊達宗泰が入り、岩出山伊達家の拠点として明治維新まで続きました。そして岩出山城は伊達家初期の領国経営を支える拠点となりました
お城ニュース ※外部リンク
2024年9月24日
コラム:政宗青年期の居城「岩出山城跡」の調査について
岩出山城の見どころ

内門跡

切岸

有備館

本丸跡
岩出山城カルテ
■攻略のレーダーチャート(ポイント)
■ポイント
- パンフレットや現地の遺構の解説板があまりないので整備ポイントは低い。攻城には事前の下調べが必要。
- 徳川家康が縄張り、伊達政宗が12間居城としていたので歴史ポイントは高い。
平均:66/100 ポイント
合計:395/600 ポイント
おススメ度:★★★★☆☆
■見どころバロメーター

MEMO
岩出山城の山麓には仙台藩の藩校のひとつである有備館が置かれ、庭園と共に史跡に指定されています。有備館の建物は現存する最古の藩校とされます。
■宮城県 主要城郭との比較(ポイント)
※全ての城にそれぞれの魅力があります。当サイト独自のデータになります。

写真でめぐる お城ツアー
岩出山城 御城印
※スタンプ設置場所や御城印販売所の場所、営業時間は最新情報をご確認ください。
御城印販売
・サラダ館大崎岩出山店
宮城県大崎市岩出山浦小路8-3
・花山太右衛門商店
宮城県大崎市岩出山字二の構147

岩出山城 周辺の天気
| 別名 | 臥牛城、岩手沢城、岩出山要害 |
|---|---|
| 城郭構造 | 山城 |
| 天守構造 | なし |
| 築城主 | 氏家直益 |
| 築城年 | 応永年間(1394年-1428年) |
| 主な改修者 | 徳川家康 |
| 主な城主 | 氏家氏、萩田氏、伊達氏 |
| 廃城年 | 1868年 |
| 遺構 | 土塁、空堀、堀切、石垣、虎口、曲輪 |
| 指定文化財 | 未指定 |
| 再建造物 | なし |
写真で見る岩出山城
マップ
アクセス
■公共交通機関
・JR陸羽東線「岩出山駅」または「有備館駅」徒歩約15分
■車・バイク
・東北自動車道「古川IC」より車で約20分
■駐車場
・無料駐車場有り
岩出山城について
1590年(天正18年)小田原城攻略後の豊臣秀吉は、奥州仕置を行う。 これにより旧葛西・大崎領12郡は木村吉清・清久父子の領となるが、検地・刀狩りなどへの不満から一揆が発生する(葛西大崎一揆)。
この一揆への関与を疑われた伊達政宗は秀吉により無罪とされるものの、翌1591年(天正19年)に、米沢から葛西・大崎旧領に移封されることとなる。 移封に先立ち、当時奥州の検地を行っていた徳川家康は岩手沢城に約40日滞在し、その間に城の縄張りや改修修築を行った後に伊達政宗への引渡しを行ったと言われる。
尚この時に「岩手沢」から「岩出山」へと改められた。 以後仙台城築城までの12年間伊達政宗の居城となる(この時期、伊達政宗は「大崎少将」を名乗った)。
岩出山は奥大道の経路から外れており、1601年(慶長5年)より政宗は仙台城を築き、移った。その後、岩出山城は政宗の四男の宗泰を初代とする岩出山伊達家が居住する要害になり、明治維新までつづいた。
なお、岩出山城には仙台藩の藩校のひとつである有備館が置かれ、庭園とともに史跡に指定されている。有備館の建物は現存する最古の藩校とされる。
現在、城跡には有備館のほかに曲輪跡の平坦や土塁、大空堀、堀切、石垣を伴う虎口、が残るが、公園として手が加えられ過ぎている反面、城跡としての説明版などの整備は欠けている。また、城山公園、宮城県岩出山高等学校と大崎市立岩出山小学校として利用されている。
城山公園には伊達政宗のコンクリート像(平和像)がある。これはもともと第2次世界大戦における金属類回収令で銅像を失った仙台城跡に置かれていたものだが、1962年に移設されたものである。
仙台城の騎馬像に対して、岩出山城の平和像は起立した形で、1954年に柳原義達が製作し、小野田セメントが材料を無償で提供した。
岩出山城 周辺スポット
有備館
慶長6年(1601)、伊達政宗は仙台城に移り、岩出山は政宗の四男宗泰を初代とする岩出山伊達家が代々伊達一門として治めました。
「有備館」は、江戸時代の仙台藩家臣である岩出山伊達家が開設した学問所で、開設されたのは10代邦直が当主であった嘉永3年(1850)頃と考えられます。
庭園内にある建物「御改所」は、2代宗敏の隠居所として延宝5年(1677)頃に建てられたとする説が有力です。
鳴子峡
大谷川が刻んだ深さ100メートルに及ぶ大峡谷。
春から夏にかけて緑が美しく、例年10月中旬から11月中旬にかけては、赤や黄色の美しい紅葉に染まります。
鳴子峡遊歩道は、中山平側入口(鳴子峡レストハウス)から回顧橋までと、鳴子側入口(大谷橋)から約230メートル地点までとなります。
尿前の関(尿前御番所跡)
戦国時代には出羽の最上と境を接する 尿前 (しとまえ )の岩手の森に、岩手の関がありました。
伊達藩になってから 尿前 (しとまえ )境目と呼ばれ、寛文10年(1670年)尿前番所を設置、岩出山伊達家から横目役人が派遣され、厳重な取り締まりが行なわれました。
松尾芭蕉と門人曽良は元禄2年(1689年)、この関所であやしまれ厳しい取調べを受け、ようやく通過しています。
温泉の街 大崎氏
岩出山城の近くは温泉郷が幾つもあり、温泉の宝庫です。
鳴子温泉
温泉の泉質は多彩で、種類の豊富さ・源泉数の多さは日本有数です。
歴史は古く、「続日本後記」に承和4年(837年)4月に潟山が大爆発をして温泉が湧き出したとあり、温泉宿の開湯は江戸時代中期頃と伝えられて、湯治場として多くの人々に親しまれました
川渡温泉
鳴子温泉郷の東の玄関口にある川渡(かわたび)温泉は開湯1000年以上。古くから脚気川渡「かっけかわたび」の名で親しまれてきました。国民保養温泉地にも指定され春の菜の花畑など自然豊かで閑静な温泉街です。
鬼首(おにこうべ)温泉
鬼首温泉は肌に優しい単純泉。
無色透明でとろっとした肌触りのお湯が体にしみます。
食事は地元の食材を使って鬼首ならではの滋味あふれる料理からオシャレなコース料理まで、どのお宿も自慢料理が並びます。
東鳴子温泉
東鳴子温泉(ひがしなるこおんせん)・東鳴子温泉観光協会の公式ウェブサイト。「東鳴子温泉観光協会」は東鳴子地区の旅館、商店が任意で加盟し運営している会員組織。東北・宮城県大崎市「東鳴子温泉」は宮城県の北に位置する古来より湯治や長期療養滞在、宿泊、日帰り入浴もできる宮城の有名な温泉(湯治場)です。
中山平温泉
東北の宮城県に位置する鳴子温泉郷の中山平温泉は、古来より湯治が盛んないで湯で、環境省指定の国民保養温泉地です。全国11種類の泉質のうち、5種の豊富な源泉が楽しめ、美肌の湯・美人の湯として知られています。
アルカリ度の高い、ぬるぬるした感触が得られる湯のため、ウナギ湯という名称でも親しまれています。
宮城県の城を攻める





























