小金城

標高20mほどの丘陵地帯にあり、古利根川、中川、荒川流域の低地帯を一望できる場所に位置しています。城域は東西800m、南北700mにおよび、12もの郭を備えて当時の下総国北西部においては最大規模を誇った平山城でした。

要害の城であったが、太日川(現在の江戸川)の要でもあったため、水運により城下は市が立ち並んで金宿(後の小金宿)が形成され、周辺の本土寺や東漸寺が領主高城氏の保護を受けて栄えるなど、軍事的にも経済的にも栄えました。

小金城の見どころ

歴史ポイント

高城氏は、平安時代以降に下総国に勢力をもった平氏の一族である千葉氏の流れを汲む豪族で、15世紀後半頃 松戸市内の栗ヶ沢に館を構えたのち根木内城を築城、天文6年(1537)に小金城を築いてからは拠点を移します。
上杉勢の進出を留めた高城氏でしたが新たに北条氏の配下となります。
天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原征伐に伴う動きにより小金城も明け渡されてその歴史を終えます。高城氏は小金・廣徳寺を菩提寺とし、代々の墓所も境内にあります。

遺構ポイント

小金城の見どころは大谷口歴史公園に、北条氏築城術の代名詞ともいえる畝堀と障子堀が発掘調査によって復元されています。
達磨口には土塁と堀切(もしくは虎口)が残っており、住宅地の一画に戦国時代の雰囲気を留めています。

昭和40年代頃までは森林の中に遺構がほぼ完存していたが、宅地開発によりほぼ全てを消失しています。しかし、住宅街を歩くと当時の城郭形状を感じることができます。

登城レポート

ポイント

  • 流鉄線・常磐線の各駅が近いのでアクセスポイントが高い
  • 関東における戦国時代の重要拠点であり、小田原征伐の舞台にもなっているので歴史ポイントは及第点
  • 残存している遺構が少ないので、見どころの範囲も狭い故に各項目のポイントは低い

平均:2.66
合計:16.0

  • 遺構:遺構の多さ、貴重度
  • アクセス(目安):新幹線が最寄り→5、駅が近い→4、駅から歩いて行ける距離→3、駅から遠いがバスが走っている→2、車が無いと行けない→1
  • 満足度→攻城のトータル総評
  • 歴史→時代に影響を与えた歴史の舞台→5、有名な武将や合戦があった城→4
  • 整備:トイレの有無、城内の解説板、パンフレットのクオリティの評価
  • 城郭範囲:観覧範囲の広さと、遺構の残存度。見どころの多さにも直結

※全ての城にそれぞれの魅力があるのは前提での主観的評価になります。

小金城の御城印

※スタンプ設置場所や御城印販売所の場所、営業時間は最新情報をご確認ください。
■御城印販売
・松戸市観光協会
 時間 9:30〜17:30
 休業日 火曜日

・流鉄流山線「小金城趾駅」駅窓口

小金城 周辺の天気

別名大谷口城、開花城
城郭構造平山城
天守構造なし
築城主高城胤吉
築城年天文6年(1537年)
主な改修者高城胤辰、後北条氏
主な城主高城氏、武田信吉
廃城年文禄2年(1593年)
遺構空堀、土塁、切岸、曲輪
指定文化財松戸市指定史跡

写真で見る小金城

流鉄線
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達磨口 虎口
達磨口 虎口
達磨口 虎口
畝堀
畝堀
畝堀
障子堀
障子堀
大谷口馬屋敷土塁
番場 土塁
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小金城の歴史

千葉氏の家老原氏の重臣であった高城氏の居城である。原氏が室町時代の享徳の乱で上杉氏と対立関係に入った時期に、上杉勢力の下総侵攻を防ぐ拠点とするために重臣の高城氏を小金に配置したものと考えられている。

小金城(大谷口城)は、享禄3年(1530年)に阿彦丹後入道浄意が縄張りをし、天文6年(1537年)9月に高城胤吉によって築かれた。高城氏は根木内城より居城を移して、胤吉、胤辰、胤則と3代53年の居城となった。胤吉は城建設以前には近郊の栗ケ沢城、根木内城を根拠地として構えていたが、小弓公方足利義明の進出に対抗するために大谷口に新城を築城して移った。

北に金杉口、東に大手口、丑寅に達磨口、西に横須賀口、南に大谷口を設け、横須賀口には家臣を住まわせ、その規模・内容は稀にみる大がかりなもので、完成の祝宴も盛大であったという。以来、天正十八年の豊臣秀吉の小田原攻めで落城するまで、三代に亘って栄えた。

永禄年間(1560年代)、古河御所を追われた古河公方足利義氏の仮御所の役目と、義氏に敵対する関東管領上杉憲政を擁立して関東へ侵攻した上杉謙信に備えて拡張が行われたものと考えられている。実際、永禄4年(1561年)7月から12月にかけて足利義氏は小金城に在城している。
また、永禄9年(1566年)2月には上杉方に小金城を包囲されたが、籠城して乗り切ることに成功している。

天正18年(1590年)の小田原征伐の際、後北条氏方の高城氏は小田原城に篭城し、豊臣氏方の浅野長政らに攻められ落城し、火をかけられた。発掘調査の際には本城と中城の表土が赤色化していたのはそのためであると考えられている。

その後、徳川家康の関東移封に伴い、家康の五男・武田信吉が入城する。信吉は文禄元年(1592年)に下総国佐倉城主として転封となり、小金城は文禄2年(1593年)に廃城となった。

高城・小金城落城後、元禄11年(1699年)4月、下総国葛飾郡栗ヶ沢村の知行所に代わり、下総国葛飾郡大谷口村236石が徳川幕府方直参旗本の土屋正克の領地となり、圧政ではなく大熊家や八木原家などの有力者と相携えて村人と融和し両者対立することなく村の統治を行った。その後幕末まで土屋家が領主であり続ける。

小金城の縄張り

標高20mほどの丘陵地帯にあり、古利根川、中川、荒川流域の低地帯を一望できる場所に位置しています。城域は東西800m、南北700mにおよび、12もの郭を備えて当時の下総国北西部においては最大規模を誇った平山城でした。

現在は宅地開発によって、城域のほとんどが失われていますが、住宅地の中に城郭の片鱗を見て取ることができます。

現在の小金城

昭和40年代頃までは森林の中に遺構がほぼ完存していたが、宅地開発により、多くが消失している。残存した城跡の一部が大谷口歴史公園として整備されており、後北条氏関連の城跡で多く見られる畝堀や障子堀、土塁などの遺構が残る。また達磨口にはかつて引き橋が架かっていたと言われている土塁と堀切の様な場所が残り、馬場と呼ばれる付近にも土塁や空堀のの名残らしき物が有る。なお、1962年(昭和37年)および1991年(平成3年)に宅地造成に際して松戸市によって発掘調査が行われており、多くの建物跡、櫓跡、また鉄砲の弾や陶磁器などが発見されている。

1960年代ごろまでは本城への土橋と空堀が完全に存在していて、その写真は『日本城郭大系』に掲載されているが、現在残るのは金杉口、達磨口付近の遺構だけである。最も戦闘的な主要建造物を有した「本城」「中城」などは1964年(昭和39年)の宅地開発により消失している。

近年(2010年代半ば)まで本城と言われる部分の所々に土塁が残っていたが、徐々に減りつつある。

小金城 周辺スポット

大勝院

大勝院と小金城は密接な関係があり、高城氏が根木内城の祈願寺として現在の麗澤大学の位置に創建され、500年ほど前に大谷口城への移転とともに寺も城郭の鬼門にあたる位置に移転したと伝えられます。
境内には市内最古の「大いちょう」があります。

広徳寺 

寛正三年(1463)創建の曹洞宗の寺院ですが、それ以前からの供養碑も出土しているため14世紀前半から霊場とされた地と考えられています。小金城主高城氏の菩提寺で境内の眺望良い場所高城氏の墓所があります。「松戸史跡七福神」では弁財天を奉安しています。

萬満寺

室町時代より続く臨済宗の古刹で、運慶の作とも伝えられる国重要文化財の仁王像や、中気除けにご利益があると伝わる不動明王像などがあります。年始には仁王像の股の下をくぐって無病を祈願する「仁王の股くぐり」が行われ、多くの参拝客で賑わいます。

福昌寺

寛永(かんえい)二年銘庚申塔は、福昌寺観音堂の石塔群が立ち並ぶ中にあります。碑面の摩滅がいちじるしく、現状では銘文が読めない状態ですが、形状が江戸時代初期に多い板碑型をしており、寛永2年(1625年)の銘が刻まれています。千葉県内最古の庚申塔と判断されています。

また、比叡山の山王二十一仏(さんのうにじゅういちぶつ)信仰と庚申講(こうしんこう)の関わりを示す例としても、貴重な石造文化財です。

旧徳川家松戸戸定邸

旧徳川家松戸戸定邸は、明治17年(1884年)、水戸徳川家第11代当主の徳川昭武(あきたけ)が私邸として建てた純和風、木造平屋・一部二階建の建物です。明治前期の上流住宅の指標として、歴史的価値が高く評価されています。

主屋の南に広がる起伏のある芝生地とその縁辺を彩る植樹や西側傾斜地の豊かな落葉・常緑広葉樹林、眼下に江戸川、遥かに富士山を望む借景は風致に富む景観を構成しており、その芸術的な価値、日本庭園史における学術的価値が評価されて、国名勝指定につながりました。

小金城 周辺宿泊施設

小金城 周辺グルメ

千葉県の城を攻める

千葉県

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佐倉城【日本100名城】: 35.723376, 140.218163
大多喜城【続日本100名城】: 35.286025, 140.239170
本佐倉城【続日本100名城】: 35.728279, 140.260413
館山城(たてやまじょう): 34.981546, 139.855730
稲村城(いなむらじょう): 34.997732, 139.903550
久留里城(くるりじょう): 35.287702, 140.089964
関宿城: 36.096511, 139.779997
根小屋城: 35.065680, 140.061307
臼井城(うすいじょう): 35.738453, 140.179024
増尾城: 35.841751, 139.984660
国府台城: 35.747088, 139.899763
米本城: 35.745860, 140.114973
造海城: 35.205444, 139.840937
師田城(もろとじょう): 35.752951, 140.183423
白浜城(しらはまじょう): 34.912893, 139.890673
秋元城: 35.253821, 139.990721
万喜城(まんぎじょう): 35.297610, 140.325515
小金城(こがねじょう): 35.836028, 139.922760
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佐倉城【日本100名城】
佐倉城【佐倉市】
江戸幕府の老中・土井利勝の居城として知られている佐倉城。江戸を守る要衝の地として代々譜代大名が封ぜられている。佐倉城は石垣を使用しない土造りの城で、印旛沼を外堀の一部にした近世城郭だった。



遺構:堀、土塁
縄張り:連格式平山城(市指定史跡)
佐倉城データベース
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大多喜城【続日本100名城】
大多喜城【大多喜町】
徳川四天王 本田忠勝が居城とした城で本丸跡には模擬天守が建てられている。遺構としては大多喜高校に二の丸御殿薬医門が移築されており、さらに二の丸には周囲10m、深さ20m 日本一の大井戸が現存している。



遺構:土塁・横堀・堀切・曲輪・井戸
移築建築:薬医門
復元建築:天守
縄張り:連郭式 平山城(県指定史跡)
大多喜城データベース
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本佐倉城【続日本100名城】
本佐倉城【酒々井町】
千葉氏後期の本拠地となった城。半島状の丘陵地に建ち、残る三方が湿地帯に囲まれた天然の要害。土塁や空堀などの遺構がほぼ完全な状態で残っている。駅から近くアクセスが良いのもポイント。



遺構:空堀・土塁・虎口・郭
縄張り:連郭式 平山城(国指定史跡)
本佐倉城データベース
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館山城(たてやまじょう)
館山城【館山市】
里見氏が築城した城で、里見八犬伝のモデルとなった城でもある。模擬天守の内部には里見氏を題材にした『南総里見八犬伝』に関する読本、絵草子、錦絵などが展示されている。館山湾を一望できる絶景も魅力的。



遺構:曲輪・堀切・空堀・水堀
復元建築:模擬天守
縄張り:連郭式 山城(市指定史跡)
館山城データベース
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稲村城(いなむらじょう)
稲村城【館山市】
前期里見氏の居城で、里見義豊が義堯に攻め滅ぼされた「天文の内訌」の舞台となった城。里見氏の嫡流は途絶えることとなり、里見義堯を祖とする後期里見氏が始まり、稲村城は廃城となった。土塁や堀切、切通しなどの遺構を確認することができる。



遺構:土塁・堀切・切通し・曲輪
縄張り:平山城(国指定史跡)
稲村城データベース
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久留里城(くるりじょう)
久留里城【君津市】
室町時代には真里谷氏の居城として、戦国時代には里見氏の居城として知られている。房総半島の代表的な城郭で、現在は城山公園として整備されており、展望台として模擬天守が建てられている。



遺構:土塁・堀切・郭・土橋・井戸
復元建築:模擬天守
縄張り:連郭式 山城
久留里城データベース
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関宿城
関宿城【野田市】
徳川家康の異父弟 松平康元を藩祖とする関宿藩の藩庁が置かれ譜代大名が城主を務めた。戦国時代には北条氏と上杉氏の間で激しい争奪戦が繰り広げられたことで有名な城。



遺構:移築城門(埋門)・御殿(実相寺)
復元建築:天守(模擬)
縄張り:平城
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根小屋城
根小屋城【鴨川市】
何時・誰が・何の目的で築城されたのか謎多き城。しかし、堀切など城郭の遺構が確かに残っている。



遺構:曲輪・堀切・竪堀・切岸・石積み等
縄張り:ー
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臼井城(うすいじょう)
臼井城【佐倉市】
太田道灌や上杉謙信など何度も合戦の舞台となっている城。1590年(天正18年)、小田原征伐により原氏が滅びたのちは豊臣側に接収され、酒井家次が封じられる。以後、廃城となる。



遺構:土塁・空堀・土橋・郭
縄張り:平山城(市指定史跡)
臼井城データベース
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増尾城
増尾城【柏市】
高城氏の家臣 平川若狭守の居城。高城氏は北条氏に属していた為、1590年の「小田原攻め」の際に廃城となったと考えられている。土塁や空堀、虎口などの遺構も良好な状態で残っている。



遺構:曲輪・堀・土塁
縄張り:連郭式 平山城
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国府台城
国府台城【市川市】
太田道灌の弟、太田資忠によって築かれた城。江戸川と坂川の合流地点という要所であったため、北条氏と里見氏を中心とした房総諸将らによって行われた国府台合戦など、争奪戦が繰り返された。



遺構:堀・土塁・井戸
縄張り:連郭式 平山城
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米本城
米本城【八千代市】
村上氏の居城で文明年間には大田道灌に攻められ落城したと伝わる。本丸や二の丸など中枢部分が破壊されているが、腰曲輪などは確認できる。城址の北側には村上氏の菩提寺である長福寺がある。



遺構:空堀・土塁
縄張り:連郭式 平山城
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造海城
造海城【富津市】
房総半島を支配した里見氏の家臣、正木氏の拠点。東京湾を挟んで対峙する北条水軍に備えた城郭。岩盤を切り込んだ堀切を各所で見ることができる。



遺構:空堀・石垣・土塁・井戸
縄張り:連郭式 山城
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師田城(もろとじょう)
師田城(もろとじょう)【印西市】
臼井氏の居城である臼井城の支城として、師戸氏によって築かれた城。印旛沼の対岸にある臼井城とは「渡し」で結ばれ、臼井城の防衛に大きな役割を果たした。小田原征伐で落城。現在も大規模な遺構を見ることができる。



遺構:土塁・空堀
縄張り:平山城(沼城)
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白浜城(しらはまじょう)
白浜城【南房総市】
白浜城は安房里見氏発祥の地とされる城で「結城合戦」に敗れた里見義実がこの城を拠点に安房平定に乗り出したと伝わる。堀切や土塁のない初期の山城構造で、切岸や岩盤を削ったダイナミックな切通を見ることができる。



遺構:切岸・切通
縄張り:山城(南房総市指定史跡)
白浜城データベース
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秋元城
秋元城【君津市】
第2次国府台合戦により北条軍に攻められ落城。その後は北条氏の城として機能していたが、1590年の小田原征伐で浅野長政が率いる房総別働隊によって攻められ廃城。現在も土塁や堀切などの遺構が良好な状態で、戦国時代の山城の姿をとどめている。



遺構:土塁・堀切・堀・土橋・切岸
縄張り:山城
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万喜城(まんぎじょう)
万喜城【いすみ市】
戦国時代に美濃国からきた土岐氏によって築かれ、房総でも代表的な山城である。北条氏に臣従した土岐氏は1590年の小田原合戦で本多忠勝が率いる徳川軍に攻め落とされ滅亡。徳川家康の関東入封後に忠勝が大多喜城に入る前に一時的に万喜城を居城とした可能性があるとされている。



遺構:曲輪・堀切・切岸・土塁・井戸
縄張り:山城
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小金城(こがねじょう)
小金城【松戸市】
1590年の豊臣秀吉による小田原征伐で落城するまで、高城氏3代の居城として栄えた城。その後、徳川家康の五男・信吉の居城となるが、信吉が本佐倉城に移ると廃城となる。発掘調査で検出された障子堀や畝堀など北条系の城郭特有の遺構が残る。



遺構:曲輪・土塁・障子堀・畝堀
縄張り:平山城(市指定史跡)