館山城
館山城は千葉県館山市にある城で、里見氏の最後の居城として伝わります。
現在は城山公園として整備されており桜の名所として親しまれています。主郭部には模擬天守が建てられ、内部には里見氏を題材にした「南総里見八犬伝」に関する読本、絵草子、錦絵などが展示されています。
また城下には、館山市立博物館本館でも170年にわたってこの地を支配した里見氏に関連した資料や館山城遺構出土品が展示されています。
Contents
館山城の見どころ

里見氏は、清和源氏の系統である新田氏の一族。上野国(群馬県)碓氷郡里見郷から興り、鎌倉時代以降、安房国(千葉県南部)を拠点に戦国大名として約170年間にわたり房総半島を支配しました。
小田原北条氏とは長い抗争を繰り広げました。後の「南総里見八犬伝」のモデルとなったことで知られます。
江戸時代の1622年に里見忠義が現在の鳥取県に改易・病死し、戦国大名としての歴史を閉じました。

館山城と言えば主郭部に建てられた模擬天守が目を引きます。
天守の裏側から八遺臣の墓方面は、完全に山城のテイストとなり、城としての魅力はこちらに多く残っています。
山麓には水堀や空堀が残っており、山の中腹には堀切を見ることができます。館山城は日本軍の海軍防空砲台となり改変されていますが、裏側は一変して戦国時代の面影を見ることができます。
登城レポート

ポイント
- 里見氏の最後の城だったことから歴史は及第点
- 天守からの眺望は良く、模擬天守には歴史博物館あるので満足度も及第点
- 遺構は少なめなので遺構ポイントは低い
平均:2.33
合計:14.0
- 遺構:遺構の多さ、貴重度
- アクセス(目安):新幹線が最寄り→5、駅が近い→4、駅から歩いて行ける距離→3、駅から遠いがバスが走っている→2、車が無いと行けない→1
- 満足度→攻城のトータル総評
- 歴史→時代に影響を与えた歴史の舞台→5、有名な武将や合戦があった城→4
- 整備:トイレの有無、城内の解説板、パンフレットのクオリティの評価
- 城郭範囲:観覧範囲の広さと、遺構の残存度。見どころの多さにも直結
※全ての城にそれぞれの魅力があるのは前提での主観的評価になります。
館山城の御城印
※スタンプ設置場所や御城印販売所の場所、営業時間は最新情報をご確認ください。
■御城印販売
・天守(館山市立博物館本館)
時間 9:00~16:45(入館は16時30分まで)
※月曜休館
・道の駅 あずの里いちはら
時間 9:00~18:00
※第2火曜日 休日
・まるごとしすい
時間 9:00~18:00
※月曜休日

館山城 周辺の天気
| 別名 | 根古屋城 |
|---|---|
| 城郭構造 | 連郭式山城 |
| 天守構造 | 3層3階(非現存) 複合式望楼型3重4階(昭和57年 模擬) |
| 築城主 | 里見義康 |
| 築城年 | 1580年(天正8年) |
| 主な城主 | 里見氏 |
| 廃城年 | 1614年(慶長19年) |
| 遺構 | 曲輪、堀切、空堀・水堀、模擬天守 |
| 指定文化財 | 市指定史跡 |
| 再建造物 | 模擬天守 |
写真で見る館山城
マップ
アクセス
■公共交通機関
・JR館山駅からバス
JRバス関東「洲の崎方面」行き「城山公園前」下車
■車・バス
・富津館山道路「富浦IC」から約20分
■駐車場
・無料専用駐車場あり
館山城について
1580年(天正8年)、里見義頼によって館山城が築城された。天正19年6月から11月までの間にかけて、里見義康が岡本城から館山城へ移転をしてくる。湊を伴う城であったと指摘されている。
その後、1614年(慶長19年)に里見氏は改易され、館山藩は取り潰しとなった。この際に館山城も廃城となり、破却された。後の1781年(天明元年)に、稲葉正明が館山藩主となって館山に入ったが城を再建することはなく、2代正武が城の麓に館山陣屋を構えて、そこを新たな政庁とした。
施設
1982年(昭和57年)、模擬天守が建設されるにあたり、城跡の発掘調査や里見氏に関する古文書調査が行われた。模擬天守閣と同時に市立博物館が建設され、模擬天主閣で南総里見八犬伝を展示紹介し、市立博物館で里見氏を展示紹介している。
周辺の緑地などは城山公園となり、市民の憩いの場ともなっている。また、サクラや紅葉の名所、鳥を見物できる施設もあり一つの観光名所ともなっている。頂上までは70メートルと低いため、気軽な散歩として利用する人も多い。
城下には、館山市立博物館本館がある。ほか、特産品の販売や飲食の提供、情報発信機能をあわせ持った施設(和風の売店)「里見茶屋」が2009年(平成21年)4月4日に開店した。
館山城 周辺スポット
船形山大福寺 崖観音
断崖絶壁に張り付いているように建つことから「崖観音」の名で親しまれ、この観音堂の本尊、十一面観世音菩薩は船形山の中腹にある祠に刻まれています。
眼下にひろがる鏡ケ浦 遠くに伊豆大島をを望むことができます。
観音寺(養老寺)
奈良時代に良弁僧正が開山したという大山寺は、高蔵山の中腹にあり、境内からは長狭平野や鴨川市街が一望できます。享和2年(1802)に建てられた不動堂は、旧不動堂(1589建立)の宮殿を残したまま再建された五間堂です。
不動堂と宮殿が国の重要文化財に指定されています。
伏姫籠穴
房総丘陵のシンボル・富山(とみさん)の中腹にある「伏姫籠穴」。江戸時代後期に活躍した戯作者・滝沢馬琴の代表作『南総里見八犬伝』にも登場する籠穴です。
本作において、伏姫と里見義実(よしざね)の愛犬である八房が隠れて過ごした洞窟と言われています。
物語中では、伏姫を取り戻しにきた許嫁によって八房は撃ち殺されてしまいました。これにちなみ、八房が眠るという「犬塚」が築かれています。
鋸山 日本寺
鋭い岩肌が連なる標高329mの鋸山は、その名の通り稜線がノコギリの歯のような形をしています。県指定の名勝として知られている鋸山の南斜面に日本寺はあります。
約1300年前、聖武天皇の勅詔を受けた行基菩薩によって、725年に開山された関東最古の勅願所です。日本最大の磨崖仏など、数多くの見どころが点在。なかでもスリル満点な山頂エリアの「地獄のぞき」は、房総半島や遠く富士山や三浦半島までの絶景が望めます。
館山城 周辺宿泊施設

館山城 周辺グルメ
千葉県の城を攻める
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