佐倉城【日本100名城】
江戸幕府の老中・土井利勝の居城として知られている佐倉城。江戸時代には江戸を守る要衝の地として、代々譜代大名が封ぜられている。
老中・大老といった幕府の要職につくと佐倉に移されるという傾向があり、城主の交代が頻繁に行われ、9家20代の佐倉城主が誕生しているが、そのうち9人が老中となっている。佐倉城は石垣を一切使わずに築かれており、印旛沼を外堀の一部にしています。
また天守は建てられず、三重櫓(御三階櫓)を天守の代用としていました。現在は佐倉城址公園として整備されており、土塁や堀などの遺構が残っている。
Contents
佐倉城の見どころ

佐倉城といえば復元された馬出の空堀や本丸の天守跡などが有名ですが、城外の西側~南側は水堀や出丸が綺麗に残っているので、一番城郭らしさを感じます。
本丸から山道を下ると出丸に到着できます。

佐倉城の近くには武家屋敷通りがあります。江戸時代の武家屋敷のうち、旧河原家住宅、旧但馬家住宅、旧武居家住宅の3棟が公開されており、石高ごとの違いを楽しめるのも大きな魅力です。
武家屋敷通りに隣接した「ひよどり坂」は江戸時代からほとんど変わらない美しい竹林に囲まれた道もおすすめ!
名城スタンプと御城印
■日本100名城スタンプ
・佐倉城址公園センター
→開館時間:4~10月 9:00~17:00、11~3月 9:00~16:30
・国立歴史民俗博物館
→開館時間:3~9月 9:30-17:00、10~2月 9:30~16:30
■御城印
。京成佐倉駅前観光案内所

佐倉城周辺の天気
| 別名 | 鹿島城 |
|---|---|
| 城郭構造 | 連郭式平山城 |
| 天守構造 | 御三階櫓(独立式層塔型3重4階 1616年 非現存) |
| 築城主 | 鹿島親幹 |
| 築城年 | 天文年間か |
| 主な改修者 | 千葉邦胤、土井利勝 |
| 主な城主 | 鹿島親幹、千葉邦胤 土井利勝、堀田氏 |
| 廃城年 | 1873年(明治6年) |
| 遺構 | 堀、土塁 |
| 指定文化財 | 佐倉市史跡 |
写真で見る佐倉城
登城レポート
佐倉城について
佐倉城は、鹿島山(標高30メートル)の西端部に築かれ、西側と南側を囲みこむように鹿島川とそれに合流する高崎川が流れ、北側には印旛沼に至る低湿地が広がっていたとされる。
戦国時代、本佐倉城主千葉親胤が大叔父にあたる鹿島幹胤に命じて築城を開始したが、親胤が暗殺されたために工事は中断、千葉邦胤の代にも工事が試みられたが邦胤の暗殺によって頓挫、いつしか築城予定地には鹿島幹胤にちなんで「鹿島台」と呼ばれるようになったとされる。
なお、鹿島氏は神島氏とも称され、千葉親胤の兄で邦胤の実父でもある千葉胤富の室は神島氏の出身とされている。彼女は邦胤の生母では無かったが千葉家中に大きな影響があり、邦胤の暗殺後に北条氏政が息子の直重を千葉氏に送り込もうとした際に彼女の支持を取り付けたことで実現したと伝えられている。
1610年(慶長15年)に、徳川家康の命を受けた土井利勝によって築城が再開され、佐倉城が完成した。
江戸時代は佐倉藩の藩庁が置かれた。城主は江戸幕府の要職に就くことが多く、更に初期は城主の入れ替わりが多く、江戸初期に城主であった堀田正信(後に改易されている)の弟・堀田正俊の孫・堀田正亮が11万石で再入封(後期堀田氏ともいう)してからは、安定した藩の経営を行っている。
城郭は石垣を一切用いず、干拓以前の広大だった印旛沼を外堀の一部にし、三重櫓(御三階櫓)を天守の代用としている。明治維新後に廃城令により建物のほとんどが撤去された。その後帝国陸軍歩兵第2連隊、後に歩兵第57連隊(通称・佐倉連隊)の駐屯地となった。
1962年(昭和37年)3月28日に市の史跡に指定され、現在跡地は佐倉城址公園として整備されている。城の北西端に国立歴史民俗博物館が建っており、東端には出土遺物や明治初期撮影の城門・櫓の古写真、城の模型が展示され、日本100名城スタンプが置かれた佐倉城址公園センター(佐倉城址公園管理センター)がある。
本丸、二の丸、三の丸やさらにその外縁部の椎木曲輪、天神曲輪などの多くの郭の形状が広大かつ良好に残る。また、巨大な馬出空堀や天守跡、銅櫓跡の土塁形状や水堀に守られた西出丸、南出丸の形状なども良好に残っている。佐倉連隊の弾薬庫跡、訓練用施設などの遺構も残存している。
佐倉城マップ

※佐倉市オフィシャルHPより
保存・整備
佐倉城の建物としては現在、門が一つ保存公開されている。この門は、簡易的な薬医門であり、城外へ移築されていたものを城内に戻したものであると推定される。国立歴史民俗博物館建設の際、敷地一帯の発掘調査と整備が行われ、連隊当時に平削・埋立された遺構の一部が復元されている。
明治時代初年頃に撮影された写真が比較的多く残っており、建物の跡には写真を載せた説明の看板が設置されている。また、佐倉市の市制50周年記念事業(2004年)として佐倉城再建促進協議会などにより佐倉城の再建計画が持ち上がっていたことがある。
MEMO
佐倉城は明治の廃城令によって建築物は全て破却され解体されました。櫓や城門の写真が現地の案内板に掲載されているので、かつての姿をイメージしながら、城めぐりを楽しめます!
マップ
アクセス
■公共交通機関
・佐倉駅(JR東日本)北口より、徒歩約25分(駅からバスあり)
・京成佐倉駅(京成電鉄)南口より、徒歩約20分(駅からバスあり)
佐倉城 周辺スポット
旧堀田邸(さくら庭園)

最後の佐倉藩主・堀田正倫(まさとも)の邸宅。1910年には後の大正天皇である東宮殿下の来訪に伴い、主屋に湯殿が増築されました。現在は邸宅部分の玄関棟・座敷棟・居間棟・書斎棟・湯殿および土蔵、門番所の7棟が国の重要文化財です。
麻賀多神社

北総印旛沼の南岸、八千代市から成田市まで18社鎮座している中の1社で佐倉藩の総鎮守です。祭神は稚産霊命(わかむすびのみこと)で、この地方では古くから「まかたさま」として広く親しまれています。万物を結び育てる御神徳があり、恋愛成就・安産子育て・健康守護・事業発展などの御利益を願う人が多く訪れます。
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