CASTLE DATA FILE.132
登城日:2026年10月3日
交通手段:JR土浦駅から徒歩15分
ステータス:市指定史跡・続日本100名城
ジャンル:輪郭式 平城
遺構:太鼓櫓門・霞門・土塁・堀
復元建築:西櫓・東櫓
移築建築:旧前川口門
スタンプ:東櫓内で押印
御城印:東櫓内で購入
撮影:Nikon D750
関東唯一の現存櫓門。歴史と街が融合した土浦城
本日は茨城県の続日本100名城の土浦城に初訪城です。
土浦城は築城年代は明確ではありませんが、室町時代頃に築城され、戦国期には小田氏と佐竹氏による戦いの舞台になりました。
江戸時代には土浦藩の本拠となり、土屋家の時代には9万5千石を領していました。
これは常陸国では水戸徳川家に継ぐ藩領規模でした。
現在は土浦城跡及び櫓門として、土浦市の指定史跡になっており、亀城公園として整備されています。

都内からJR常磐線に乗り11時半頃に土浦駅に到着。
土浦の地を踏むのは10年ぶりくらいでしょうか。
当時、営業の仕事をしていた時以来となります。

駅から歩いて15分〜20分ほどで亀城公園に到着しました。
公園の北側入口から入ると、すぐに本丸です。
本丸の周囲には水堀があり、城郭の雰囲気を感じます。

当時の縄張り図。
上沼と川を巧みに活かし、堀を何重にも巡らせた平城で、中心地が本丸です。

こちらが現在の遺構。
本丸と、本丸を囲む水堀、そして二の丸が公園として整備されています。
その他は市街地化によって失われています。

本丸の裏門となる霞門と東櫓。
橋を渡ると小さな枡形空間を形成しています。

霞門は1684年の松平信興の時代に造られた現存建築です。脇の石垣と土塀は近年造られたものになります。
霞門を抜けると本丸になります。

本丸から見た霞門と東櫓。
霞門は薬医門形式で桟瓦葺き。東櫓は1998年に復元されました。

現在は広場となっている本丸跡は、藩の政務の中心として御殿が並んでいました。
明治17年まで本丸御殿も現存していましたが、東櫓と共に明治17年に火災で焼失しました。

本丸の周囲は土塁によって高くなっています。

東櫓も土造りの櫓台の上に建ちます。

東櫓の内部は資料館となっています。
櫓内部に入るには料金がかかりますが、土浦市立博物館との共通チケットです。
御城印の販売や続日本100名城スタンプは東櫓内部、博物館で入手することができます。

内部は伝統工法によって木造で復元しています。

二重二階の櫓ですが、梁の大きさや軸組が、櫓とは思えないほどしっかりしています。

東櫓の2階。

展示室にある古写真。
東櫓は明治の火災で焼失しましたが、1998年に木造復元されました。
西櫓については、後ほど記述します。

東櫓から見た東側。
内堀の対岸は遊具のある公園になっており、当時は二の丸でした。

2階から見た北側。左側には霞門が見えます。
棟瓦と降り棟瓦は漆喰でがつめられて白くなっています。

2階の小屋組みはとても複雑に造られており、横架材を幾つもの肘木のような部材で支えています。

本丸の西側に建つ西櫓。
本丸は約90m×50mの楕円形状。近世城郭の本丸としてはコンパクトです。

後ほど行く博物館の模型。
本丸はまるで亀のように水に浮かんでいるようです。手前の二重櫓が東櫓で、奥の二重櫓が西櫓です。

西櫓は焼失を免れ、戦後も現存していましたが、昭和24年に老朽化と台風によって破損したことで、昭和25年に復元を前提として解体保存されました。
しかし、その後復元されることがなく長い時が過ぎることになります。

長きに渡り土塁の上には、西櫓の礎石のみが残っていましたが、平成2年についに復元されました。

本丸南側に位置する櫓門形式の太鼓櫓門。
江戸時代前期となる1656年に改築されたもので、とても貴重な城門です。
櫓門としては、関東で唯一の現存建築です。
江戸城の清水門や田安門は?と思ったのですが、江戸城は厳密には渡櫓門の部類になるのでしょうか。

鬼瓦の家紋には、土屋氏の家紋。
土屋氏は一時 転封がありましたが、通算で200年間土浦城主を務めました。
土屋氏は清和源氏の流れを汲んでおり、先祖は足利氏とされています。一色、秋山、金丸と名を変えた後に、武田信玄の名によって土屋氏を名乗るようになりました。
武田氏が滅亡すると、徳川家康に取り立てられ1669年に土浦城主となりました。

2階の櫓内には、東櫓の内部に展示されていた大太鼓が置いてあり、時を知らせていました。

全国に多くの城門が残っていますが、江戸初期の城門は貴重です。
梁の小口には飾り金具も使われており、石落としや狭間が無いことを考えると、防御的な機能よりも格式を重視した門のように思えます。

美しいフォルム。
桁行三間・梁間二間なので、横5.5m・奥行3.7mくらい。
屋根瓦は霞門とは異なり、本瓦葺き。

茨城県指定文化財の太鼓櫓門は、昭和61年に解体修理が行われました。
東櫓、西櫓と共に東日本大震災で被害を受けましたが、修復工事が行われました。

西側の内堀と二の丸の土塁。

同じく西側の内堀と本丸土塁。

内堀と西櫓。
木がかなりベストポジションに生えている為、櫓は綺麗に見えません。

亀城公園の西側には土浦市立博物館があります。
土浦城や、城主だった土屋氏についてなど、貴重な資料や遺物が展示されているので、土浦城に来たらセットで周るのがベストです。

2階展示室前のバルコニーには太鼓櫓門の礎石があります。
アートの一つとして展示されています。

鬼瓦も置かれています。

2階吹抜けの前からは西櫓が見えます!

ここから撮影した西櫓が、一番美しいショットでした。

博物館内にある土浦城の模型。
土浦城は市街地化しているので、この模型の光景を頭に叩き込んでから、後ほど街に埋もれた遺構の跡地を歩きます。

模型で見てみると、船着場と一体化した枡形の門もあります。
荒川沖が近いので物資は船で直接城内に輸送していたのでしょうか。
海城でよく見る造りをしています。

本丸の模型。
手前の橋の先にある城門が太鼓櫓門。

博物館を観覧した後は、土浦城外郭に設けられていた、東西南北の城門跡を巡ります。

まずは西門跡を目指す途中にあるのが神龍寺。
土浦市立博物館の裏手にあたります。
博物館は当時の土浦城三の丸あたりなので、主郭部に近い神龍寺は、城の一部のような位置に建立されたことになります。

神龍寺の創建は天文元年(1532)、即庵宗覚の弟子で雪田真良和尚を招いて土浦城主菅谷政貞が開山したと伝えられています。
江戸時代に土浦藩主土屋家の歴代の菩提寺となっています。
本堂の棟飾や鬼瓦など、凄い迫力があります。

神龍寺の中門に当たる唐門。

山門と結界石。

神龍寺の近くには西門跡があります。
今は普通の道路ですが、当時は堀と土塁によって防備され、城郭西側の入口となっていました。

西門跡から南門跡へと移動する途中には、土浦藩校だった郁文館の正門が残ります。

郁文館は土浦藩主 土屋英直によって1779年に創設された藩校で、土浦城内に設置されました。
1839年に現在の地に移転されました。

明治以降は新治師範学校や茨城師範学校土浦分校などに引き継がれ、現在は土浦第一中学校になっています。

目の前に歩道橋があり、上から郁文館正門を撮りました。
目の前の道の先が西門跡に繋がります。

さらに歩道橋からのショット。
このように土浦城の痕跡は、街と同化しています。

東櫓や博物館にて無料で手に取ることができる土浦古絵図。このポケットサイズのパンフレットは最強です。
現在の地図と江戸時代の縄張りが分かりやすくリンクして描かれています。
このパンフレットがあれば、今は無き土浦城の姿を想像しながら歩くことができます。

続いて向かったのが、桜町四丁目バス停の近くにある普通の交差点。
この場所は南門跡で、高架下の24号線には川が流れていました。
道の反対側まで簀子橋が架けられており、対岸のファミリーマートあたりには枡形が造られていました。
枡形は城門の前の橋に造られた防衛施設なので、形式的には角馬出です。

パンフレットだとこのように分かりやすく記載されています。

絵図の通りクランクした喰違いの道は、現在もそのまま残っています。
土浦城近辺は住宅が立ち並んでおり城の痕跡は残っていませんが、不自然にクランクした道などが多く残っています。
絵図と比較しながら歩くと、何気ない普通の道は遺構に変わります。

南門跡の脇にあるのが東光寺。
土浦城の南東にあたる場所に位置したお寺です。

この東光寺には南門の土塁の一部が残っています。
建物の隙間から少しだけ見ることができました。

東光寺に沿って大手門跡へ向かいます。
写真は大手門入口。

土浦小学校の前には大手門跡があります。
大手門跡も何気ない普通の街並みです。

大手門は内枡形になっており、二層の櫓門が建っていたようです。

大手門の近くには旧水戸街道があり、この通りには蔵や老舗が多く立ち並んで、歴史を感じる美しい通りになっています。
江戸時代は宿場町でもあり、商業の中心地として発展しました。

水戸街道にある「土浦まちかど蔵 大徳」
江戸時代後期の呉服店を改装した蔵で、お土産など販売しており、観光案内所でもあります。
ワタクシもこちらで、土浦名物レンコンの漬物と醤油を購入しました。
レンタサイクルもあるので、自転車で土浦城近辺を周っても楽しめると思います。
続日本100名城スタンプや御城印も販売しています。

土浦まちかど蔵 大徳の前には琴平神社があります。
江戸時代後期に土浦で活躍した町人・地理学者・天文学者である沼尻墨僊が寺子屋を開き、庶民教育の場とした歴史があります。

琴平神社の細路地を抜けて搦手門跡に向かいます。
車も通れないエモーショナルな細路地です。

琴平神社から細路地を抜けて右側には搦手門跡があります。
搦手門跡も普通の道になっています。
城のメイン入口となる大手門があり、反対の方角に搦手門を設けるのが普通ですが、土浦城は大手門と搦手門が並んで造られた不思議な造りをしています。

搦手門跡の近くには歴史の小径と称される石畳の散策路があります。
この道を進むと城郭東側の二の丸に繋がります。

二の丸入口には土浦市指定文化財の旧前川口門があります。

この門は武家屋敷だった多計郭と城下を仕切る前川口門だったと伝わり、明治18年に役場の門として、大正8年に等覚寺の山門として移築され、昭和56年にニ之門があったこの地に再移築されました。

旧前川口門は高麗門形式で、江戸時代の末期に造られた門として伝わります。
何度か移築されていく中で、多少改変はあったかもしれませんが、貴重な現存の門です。

前川口門から二の丸跡に入ります。
二の丸は広場と遊具のある公園になっており、地域の憩いの場になっています。

二の丸も本丸同様に土塁で囲んでいます。

二の丸から見た東側の内堀。

左側が二の丸、右側が本丸。

二の丸から本丸を仕切る門が太鼓櫓門です。
ここまで広範囲を歩いて戻ってきました。

二の丸から見た東櫓。
東櫓は他の城と比べても、二重櫓の中では規模が大きいように感じます。

どのアングルから見ても木が多いのが気になりますが、城としての雰囲気を存分に味わうことができます。

亀城公園から歩いて数分。北門跡に移動しました。
これで土浦城外郭の東西南北4つの門を攻略です。
その中でもこの北門跡は特殊な構造をしていました。

1603年に門の前に馬出が築かれ、1688年に改修されてS字の珍しい馬出となりました。
北門は水戸街道の北側入口に位置しています。
土浦城は主要街道を城内に取り込んだ設計。

振り返って橋から見た北門跡。

橋の下には新川が流れています。
新川は土浦城の濠を活かして造られ新しい水路です。

春には新川と桜のコントラストを楽しめます。
土浦城の整備範囲は亀城公園のみなので、かなりコンパクトではありますが、絵図に習って遺構の解説板などが街中に設置されているので、市の前向きな取り組みを感じることができます。
歴史のある街並みも雰囲気も良いので、各々の楽しみ方を見つけて頂きたいと思います。
茨城の城はまだ2城目なので、これからさらに攻略していきます。
土浦駅前の天ぷら八起さんで遅めのランチ。
土浦駅前にあり、一品料理など居酒屋メニューも多く、通し営業なので土浦城を堪能した後にオススメ。

入店は15時頃。3時間半ほど歩き続けましたので、ビールが身体に染み渡ります。


上天丼を頂きました。
米量も多く食べ応えがあって、1400円というコスパの良さ。
お店が広いのもポイントです。

