その他 城

【愛知県】亀山城(三河国)

その他 城

CASTLE DATA FILE.130

登城日:2026年9月12日
交通手段:古宮城より車で5分
ステータス:ー
ジャンル:平山城
遺構:空堀・土橋・虎口・曲輪
スタンプ:ー
御城印:作手歴史民俗資料館で購入
撮影:Nikon D750

豪族時代の奥平氏の足跡が残る、戦国時代の城。

東海遠征4城目は亀山城。作手城とも呼ばれ、1424年に作手を治めた奥平氏が築城した城です。
古宮城からは車で5分程で、道の駅 もっくる新城の裏手に登城路があります。

今回もAIによって作ったオリジナルの縄張り図と、歴史を交えながら解説していきます。

古宮城縄張り図

亀山城は東西60m、南北28mの楕円形をしており、周囲は土塁と空堀で囲まれています。

亀山城の登城口

道の駅から見た亀山城。
作手エリアはそもそもが標高が高い場所に位置しており、亀山城の標高は540mですが、比高は30m程の丘陵地に築かれています。

亀山城の登城口

亀山城の登城口。
道の駅の脇から車で進むと、登城口の横に専用駐車場があります。

古宮城の近くにある新城市作手歴史民俗資料館に縄張り図があったので、御城印と併せて入手しました。

亀山城の登城路

登城路は綺麗に整備されています。
登城口から5分くらいで本丸に向かうことができます。

亀山城の空堀

登城路から本丸を目指すと右手に南曲輪を囲む空堀を見ることができます。

亀山城の護曲輪

左手には護曲輪があります。
護曲輪は西曲輪の下に設けられた小さな曲輪ですが、土塁も確認できるので城郭東側を防衛する施設であったと思われます。

亀山城の虎口

護曲輪の先には土橋があり、本丸西側の虎口があります。
高い土塁を切り込んで、良好な形で虎口跡が残っています。

亀山城の空堀

土橋の右側は本丸を囲む空堀が展開されています。
後ほど、この堀底を歩きます。

亀山城の西曲輪

土橋の左側には少し広めの曲輪となる西曲輪があります。
西曲輪は本丸の直下にあるので、本丸西側の虎口を守る馬出のような役割もあったと考えられます。

亀山城の景色

西曲輪から見た景色。
亀山城の前には一本道の街道があり、長篠・豊橋方面と岡崎を結んでいます。

徳川家康にとっては徳川領となる豊橋の吉田城と、本拠の岡崎城を防衛するうえで、この街道を抑えることがとても重要でした。

逆に武田氏にとっては三河侵攻において抑えたい街道でもありました。
亀山城の近くにある古宮城を武田氏が築城したのも、交通の要衝を抑えることが目的であったと考えられます。

亀山城の腰曲輪

西曲輪から見た本丸下の腰曲輪と空堀

亀山城の空堀

本丸と西曲輪の空堀。堀と看板がありますが、腰曲輪と接続した虎口のようにも思えます。

亀山城の腰曲輪

本丸下の腰曲輪と、腰曲輪を防備する土塁。

亀山城の本丸

腰曲輪から見た本丸。
本丸北側は切岸で急斜面の絶壁になっています。綺麗に整備されています。

亀山城の空堀

腰曲輪から見た空堀。
左側が本丸で、右側が西曲輪。堀の先は本丸南側の虎口前に造られた土橋。

亀山城の虎口

本丸西側虎口から本丸へと入ります。

亀山城の虎口

本丸から見た西側虎口。
本丸側から見ると土塁の高さを感じることができます。

亀山城の本丸

本丸跡。
周囲は土塁で囲まれ、亀山城で一番位置にあり、一番広い曲輪となります。

発掘調査では、出土遺物が16世紀後半の物がほとんどであり、甕や茶碗などの生活用品類が出土しなかったことから、奥平氏の居住地でなく軍事拠点的な城であった可能性が高いようです。

亀山城の腰曲輪

本丸土塁から見た腰曲輪と土塁。
切岸になっているので、死角が少なく直下を見下ろすことができます。

亀山城の景色

本丸から見た景色。

亀山城を中心にして倉屋敷跡、姫屋敷跡、馬呂遺跡、奥平氏の一族が居住した石橋城跡、奥平氏の居住していたと考えられる清岳城屋敷跡、タイコ屋敷跡など、半径500mの範囲に奥平氏に関係する城館跡が丘陵地に挟まれた帯状に広がっています。

亀山城の土塁

本丸南側の土塁。

亀山城の空堀

土塁の上から見ると深い横堀が本丸を防備しています。
高さは6〜7mくらいでしょうか。

古宮城から近いので、併せて寄ってみた城でしたが、想定外の良好な遺構を見ることができました。

亀山城の虎口

本丸東側の虎口。
本丸には東西の2ヶ所に虎口があり、東側の虎口は二の丸と接続しています。

亀山城の虎口

二の丸から見た本丸東側の虎口。

亀山城の空堀

二の丸と本丸を分断する空堀。
横堀の端部は斜面に沿って掘られ、そのまま竪堀となっているように見えます。

亀山城の二の丸

二の丸跡。
二の丸も土塁で囲まれています。

亀山城の虎口

二の丸には2つの虎口があります。

亀山城の虎口

二の丸のもう一つの虎口。
スロープ状の道を下りると、腰曲輪のような細長い平場があります。

亀山城の虎口

下から見た二の丸の入口。

このスロープは直接本丸東側の虎口に繋がっているので、二の丸も西曲輪と同様に馬出のような役割だったと考えられます。

亀山城の二の丸

下から見た二の丸。
上部は土塁で急斜面になっています。

亀山城の登城路

東側の登城路。
本丸下の地図で見ると腰曲輪に繋がっているようですが、蜘蛛の巣が多すぎて途中で断念しました。
大地を削った迫力ある道です。

亀山城の東曲輪

二の丸の下にはコンパクトな曲輪の東曲輪があります。
大手跡とされる虎口と隣接しているので、虎口を守るために兵を駐屯して、防衛するための曲輪だった可能性があります。

亀山城の大手

大手跡。
正面には本丸の高い土塁によって行き止まりとなり、本丸に行くには分岐を左右に進んで西曲輪側か、二の丸側から入城することになります。

亀山城の本丸土塁

本丸南側の土塁。

亀山城の空堀

本丸土塁の上から見ても思いましたが、本丸南側の横堀は迫力があって素晴らしい。

亀山城の空堀

個人的には亀山城で一番の見どころ。

亀山城の空堀

堀底幅4mの大型の横堀で、堀底が大手と接続しており、この堀底は道として利用されていたようです。

亀山城の虎口

南曲輪の脇にある虎口。

亀山城の虎口

本丸空堀側から見た虎口。

亀山城の空堀

南曲輪の前から見た横堀。

亀山城の空堀

南曲輪の土塁から見た本丸下の横堀。
遺構がしっかりと保存されており、とても周りやすく短時間でも十分楽しめる城跡でした。

城主だった奥平氏はこの一帯を治めた地方豪族でしたが、長篠の戦いで武田軍の完全包囲網に籠城戦で対抗。
長篠・設楽原の戦いで、織田・徳川連合軍の勝利に貢献し、後に徳川家康の長女・亀姫の婿に認められます。

江戸時代には下野国宇都宮10万石の大名となり、最後は現在の大分県中津10万石を領し、明治の廃藩置県まで存続しました。
地方豪族が江戸時代に10万石以上の大名になった例は、真田家など数家しかありません。
奥平氏の勝ち組ロードの痕跡は、亀山城を含めたこの作手エリアに存在します。

亀山城のヤギ

亀山城の麓にある道の駅には、ヤギが飼われていました。

豊橋に戻りレンタカーを返して、東海道線で静岡県の掛川市のホテルに移動。
東海遠征1日目はハードでしたが、無事に終わることができました。

ご当地グルメの五平餅

亀山城は道の駅が近いので食事を楽しむことができます。

五平餅と田楽こんにゃくが、疲労した体を癒します。五平餅は長野や愛知の山間部に伝わる郷土料理。甘めの味噌と香ばしいお米が絶妙。手のひらくらい大判な五平餅です。

これを城の麓で気軽に食べれるので最高です。


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