CASTLE DATA FILE.129
登城日:2026年9月12日
交通手段:設楽原古戦場より車で30分
ステータス:市指定史跡・続日本100名城
ジャンル:平山城
遺構:土塁・曲輪・横堀・竪堀等
スタンプ:作手歴史民俗資料館で押印
御城印:作手歴史民俗資料館で購入
撮影:Nikon D750
山全体を城塞化。戦国期の遺構がほぼ完存している武田氏の最高傑作
長篠城、医王寺山城、設楽原古戦場に続き、続日本100名城に選定されている古宮城に移動です。
長篠城と同じ新城市にあり、車で峠を越えて30分ほどで到着しました。
古宮城の近くに作手歴史民俗資料館がありますので、縄張り図を貰ってから行くことをお勧めします。
続日本100名城スタンプや御城印も作手歴史民俗資料館で購入することができます。
古宮城は1572(元亀3年)に武田信玄が築城しました。
縄張りは幾つもの城を築城した馬場信春が設計したと考えられています。馬場信春は武田家3代に仕えた重臣です。
城主はこの一帯の作手を治めていた奥平定能、定昌親子。
武田信玄が翌年に逝去すると奥平氏は徳川家康に内通して離反し、作手を退去して額田・滝山城へ移動しました。
このとき、武田軍の追撃を受けますが、徳川軍は手薄となった古宮城を攻撃し、焼き払ったと伝えられています。
この際に廃城になったという説もあれば、長篠・設楽原の戦いの後に廃城になったという説があります。

古宮城には古宮白鳥神社から入城することができます。
創建は1617年で古宮城が廃城になった後に、山麓に設立されたと伝わります。

この地を守り続けて頂いたことへの感謝と、これからも素晴らしい城を守り続けて頂けるよう願いを込めて参拝。
城跡にはよく神社が建立されていますが、いつも同じ内容で手を合わせています。
早速、神社の脇から登城開始です。

AIで再生したオリジナルの縄張り図。
若干異なりますが、今回はこちらを元に解説していきます。
赤色立体図を基に色付けしたので、堀などの遺構は現在残っている姿です。
山全体を城塞化した最強の軍事施設であることが、この縄張り図を見るだけでも伝わると思います。

階段を上がると早速現れるのが、南側の横堀。
奥には土橋も見えます。この横堀は帯曲輪のような細長い曲輪に造られています。

上から見た空堀。
やや堀の深さが浅いのは、経年によって埋まったと考えられます。当時はもっと深い堀だったと思います。

さらに一段高い場所には主郭となる東曲輪の南側枡形虎口があります。

縄張り図で見る位置関係。

枡形虎口の土塁。
枡形の規模、そして平地に築造された高い土塁に衝撃を受けます。
枡形の形がとても綺麗に残っているのです。

虎口の土塁には大ヒノキがあります。
樹齢500年とも600年とも云われており、1572年に古宮城が築城される前から、この地を守っていたことになります。
幹幅が6m近くもあり、新城市の指定天南記念物に指定されています。

大ヒノキの脇が主郭への虎口となります。
この大ヒノキが土の城壁の一部となっています。

東曲輪から見た虎口。
おそらく当時は門があったのでしょうか。
主郭部なので厳重な守りをしています。

土塁の上から見た枡形虎口。
何となく武田氏の居城だった躑躅ヶ崎館の詰城、要害山城の雰囲気を感じます。

虎口の土塁から見た主郭の東曲輪。

東曲輪と西曲輪、三の丸周辺の遺構。

珍しいのが東曲輪には仕切土塁があり、曲輪を二分しています。

枡形虎口を背にして、仕切土塁の右側は広めの曲輪です。
居住空間としても十分なスペースがあります。
古宮城は発掘調査が行われていないので謎に包まれていますが、この場所が山全体で一番高い場所なので、城主の居住エリアだったと考えられます。

仕切土塁の左側はやや狭い曲輪となっています。
西側が高い土塁になっているのがお分かり頂けると思います。
この小さな曲輪の役割は土塁から見ると分かります。

仕切土塁から見た虎口

東曲輪の西側は巨大な竪堀によって曲輪が分断されています。
竪堀の対面には西曲輪が展開されています。
西側の土塁が高かったのは、竪堀と対面の西曲輪への攻撃を高める為だと考えられます。

東曲輪から見た西曲輪。
西曲輪よりも高い位置にあるので、敵が西曲輪まで攻めてきても攻撃できるように設計されています。

角度を変えて西曲輪を見てみます。
西曲輪も高い土塁で囲まれています。
西曲輪と東曲輪は土橋で接続されており、土橋の両脇が巨大な竪堀となっています。
左側に見えるのが土橋です。

高い土塁に加えて櫓台跡があります。
西曲輪と東曲輪を繋ぐ土橋がこの城の生命線なのか、一際高い防御力です!
続いて一度北側の麓に降りて、先ほど見た北大竪堀の堀底を歩きます。

下部から見た大竪堀は本当に圧巻で感動しました。

北大竪堀の土塁。
登り石垣とはよくありますが、登り土塁は初めて見ました。
斜面に沿って竪堀と並行して土塁が立ち上がっています。この登り土塁は東曲輪の高い土塁に繋がっています。

北大竪堀の堀底を歩いてみます。
凄い!という言葉しか出てこず、1人で歩きながら呪文のように連呼していました。

振り返ってのショット。
ここまで見事な竪堀は初めて見ました。
しかも、竪堀は立ち入れない城が殆どですが、巨大が故に堀底を歩けるのが素晴らしい。

さらに竪堀はクランクしているので、横矢掛かりとなっており、十字攻撃を可能としています。

上部で振り返ってのショット。
右側が東曲輪。全体的に高くなっているので竪堀に沿って上から攻撃しやすくなっています。
超戦闘型の城です。

北大竪堀を登り切って西曲輪に潜入です。

西曲輪も東曲輪と同様に仕切土塁があり、西曲輪を二分しています。

西曲輪の土塁から見た北大竪堀。
対面の曲輪が東曲輪で、櫓も建てられていました。
右側には土橋で東曲輪と接続されています。

西曲輪から見た東曲輪の横矢掛かりの土塁。
突き出していることで死角を減らし十字攻撃ができるようになっています。

西曲輪も土塁で全体を囲んでいます。

当時は木が生えていなかったと思われますが、基本的な城の形は戦国期のままタイムスリップしたかのように残存しています。

西曲輪の土塁。

西曲輪の土塁の上から見た一段下の空堀。
城郭西側は大手口があったので渦巻きのように、数段に分かれて雛壇状に横堀を形成しています。
城郭西側から三の丸、西曲輪あたりは特に技巧的な設計をしています。
しかも、その遺構全てが綺麗に残存しています。

西曲輪と三の丸、その周囲の遺構。

西曲輪の下段に三の丸があり、虎口が残ります。
西曲輪は主郭を繋ぐ土橋の前に設けられているので、馬出の機能と攻めてくる敵を上から攻撃する、完全なる防衛施設だった考えられます。

東曲輪から見ても分かったように、西曲輪も土塁がしっかりと残っているので、虎口も良好です。

三の丸から見た西曲輪の土塁。

三の丸から見た北大竪堀。

三の丸から西曲輪を囲む横堀を見に行きます。

左側が西曲輪。北竪堀に劣らぬ迫力です。
この横堀が西曲輪の北側と西側を囲んで防御力を高めています。

西曲輪の土塁からの深さは15m以上はありそうです。
見上げるほど高く、上から狙われているであろう威圧感がすごいです。

堀底を進んで城郭西側に回り込みます。

大手がある西側の土塁から下を見ると、更に数段の土塁と空堀が下に造られています。
西側は迷路のようになっており、大手から攻めてきた敵を集中的に攻撃できるようになっています。
縄張り図を手に周っていましたが、自分がどこを歩いているのか分からなくなる程、迷路になっています。

城郭西側の竪堀。
後ほど下からも竪堀を見てみます。

再び三の丸に戻り、もう一段下の横堀に向かいます。

城郭西側と北側は、写真のように渦を巻くような土塁と横堀が連続しています。

北側の下段の曲輪。

土塁の上を歩いて下段の横堀を見てみます。

右が西曲輪側。
左には更に一段下に横堀があります。

下から見た西側竪堀。

最下段の横堀は住宅と接っしているので行きませんでしたが、当時は水堀になって城郭全体を囲んでいました。

下段の横堀を通って北側から再び主郭の東曲輪に戻ります。

下段は帯曲輪のような細長い曲輪になっています。
外郭部全体を土塁で形成しており、どこを歩いても高い防御力を誇ります。
城郭の全体範囲は広いわけではありませんが、山全体を城塞化しており、見どころしかありません。

城郭東側の竪堀。

上から見た城郭東側竪堀。

竪堀の脇には小さな曲輪があり、高い土塁で囲まれています。
看板では牢跡となっており、主郭の東曲輪の真下に位置しています。

再び東曲輪に戻りました。

大ケヤキとは別の、もう一つの虎口から退却します。

虎口の前には土橋があり、両脇が横堀になっています。

土橋なら見た横堀。この横堀は城郭東側に位置しています。

最後の最後まで素晴らしい遺構を見せてくれます。

土橋を横から撮影。斜面になった土橋で、この土橋は主郭の東曲輪に繋がる重要な橋です。

登城口の古宮白鳥神社に戻り、神社脇から南大竪堀を見ます。
右側が神社です。
ちなみに、この南大竪堀を見逃した為、亀山城登城後に再び写真を撮りに戻ってきました。

古宮城はこの南大竪堀と北大竪堀で城郭を西と東に完全に分断しています。

古宮城はとにかく遺構の残存度に驚かされました。
市街地化によって貴重な遺構が失われた城は多くあります。
これほどの遺構が綺麗に保存されているのは、地主さんが守り続けてこられたからです。
私有地により立ち入りができない城もありますので頭が下がります。
古宮城は当たり前の内容ではありますが、ルールが厳格化されていますので、登城口にある解説板を一読してから登城することをお薦めします。
市のホームページにも記載されていますので、そちらでも確認することができます。
武田氏の最高傑作の城を評されるのも納得で、複雑でダイナミックな遺構は必見です。
生と死を左右する戦国期の城は緊張感が違います。
続いて、古宮城から近い亀山城に移動します。
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