亀山城は、応永31年(1424年)に奥平貞俊によって築城された。貞俊は、天授年間(1375年~1380年)に現在の群馬県からこの地に移り住んで川尻城を築いた後、亀山城を築城してここに居城したとされている。その子孫は、この地で支配者としての地位を確立し、後に山家三方衆と呼ばれる有力土豪となった。16世紀になると、今川氏、松平氏、織田氏といった武将の配下を転々としながら、天正3年(1575年)に徳川方となって長篠城の城主となった奥平貞(信)昌の長篠の戦いでの功績により、奥平氏は歴史に名を残すこととなった。
存続期間については、応永年間から城主が長篠城へ変わる天正年間の時期と慶長7年(1602年)~15年(1610)年に奥平信昌の四男 松平忠明が城主となっている2時期が知られている。
お城ニュース ※外部リンク
2026年9月21日
新城市で山城サミット開催
亀山城の見どころ

切岸

本丸虎口

本丸空堀

西曲輪空堀

腰曲輪と土塁

本丸土塁
亀山城カルテ
■攻略のレーダーチャート(ポイント)
■ポイント
- 土塁や空堀など、城郭範囲は狭いが遺構は良好に残っているので、見どころは多い
- 大きな合戦の歴史はなく、砦的な利用をされていた可能性もあるので、歴史ポイントは低い
平均:58/100 ポイント
合計:350/600 ポイント
おススメ度:★★★★☆☆
■見どころバロメーター
■愛知県 主要城郭との比較(ポイント)
※全ての城にそれぞれの魅力があります。当サイト独自のデータになります。

写真でめぐる お城ツアー
亀山城の御城印
※スタンプ設置場所や御城印販売所の場所、営業時間は最新情報をご確認ください。
御城印販売
・作手歴史民俗資料館
時間:午前10時~午後3時
休館日:毎週火曜日(火曜日が休祝日の場合は次の平日休館)
※ただし、夏休み期間中は開館

亀山城 周辺の天気
| 別名 | 作手城 |
|---|---|
| 城郭構造 | 山城 |
| 天守構造 | なし |
| 築城主 | 奥平貞俊 |
| 築城年 | 1378年(永和) |
| 主な城主 | 奥平氏 |
| 廃城年 | 慶長15年(1610年) |
| 遺構 | 土塁・曲輪・空堀 |
| 指定文化財 | 未指定 |
写真で見る亀山城
マップ
アクセス
■公共交通機関
・JR飯田線「新城駅」近くの新城駅口バス停~Sバス作手線に乗車
「つくで手作り村」バス停で下車。約40分
■車・バイク
・新東名高速道路「新城IC」より約40分
・東名高速「豊川IC」より約17分
■駐車場
・無料専用駐車場あり
亀山城について
作手盆地の南東部に位置する亀山城。
上野国から作手地方に移住した奥平貞俊は当初、川尻城を本拠としたが、応永31年(1424年)に亀山城を築き移った。
駿河国の今川氏や尾張国の織田氏など転属先を変えて生き延びてきた奥平氏の本拠地であった。
元亀年間(1570年 – 1573年)には、奥平貞能の子・貞昌(信昌)が甲斐国の武田氏に従属したため、武田氏の三河侵攻の拠点となる。だが、天正元年(1573年)には徳川氏へ再転属。徳川家康によって貞昌が長篠城主となったため、主要な城ではなくなった。
関ヶ原の戦いの後、慶長7年(1602年)には信昌の四男・松平忠明が城主となり作手地方支配の拠点となるが、慶長15年(1610年)に伊勢国の亀山城へ移封されると、城は廃城となった。
遺構
土塁や曲輪、空堀などの保存状態は比較的良く、奥平氏の屋敷群推定地があり、岡崎街道沿いには短冊形地割も確認されている。ただし城跡の発掘調査の結果、出土遺物が16世紀後半のものにほぼ限定され、甕や茶碗などの生活用品類がほとんど出土しなかったことから、奥平氏の居住地でなく軍事拠点的な城であった可能性が高い、との見解が新城市によって示されている。
亀山城 周辺スポット
作手歴史民俗資料館
新城市作手地区にある資料館で、建物は周辺に数多く点在する城郭からお城風の外観となっています。
長篠の戦いで長篠城の城主となった奥平氏の居城であった「亀山城跡」や「古宮城跡」などの戦国時代の山城の紹介をしています。
古宮城の御城印や続日100名城スタンプの資料館でコンプリートすることができます。
道の駅 もっくる新城
古宮城の近くには道の駅があり、奥三河の木材を使用したアーチ屋根が特徴の施設には、卵かけご飯モーニング、ジビエを利用したししラーメン等を提供するフードコート、地元産品を扱う直売所等があります。
道路・観光案内所、観光をはじめ地域の活性化を図る「奥三河観光ハブステーション」として、地域の魅力を発信するとともに人の集う施設です。
愛知県の城を攻める





























