戦国時代の山城で、約14万平方メートルという狭い範囲の中で、高低差を利用しながらおよそ10の郭を配置した縄張りをもつ杉山城。本郭を中心に南・北・西の3方向へ曲輪が展開され、土塁は屏風折れとよばれる敵方に対して見通しを悪くするための屈曲を多用し、虎口にはほぼ例外なく進入方向の側面から矢を射掛ける横矢が仕掛けられる等の防御施設が各所に見られる。
こうした高度な築城技術が高く評価され、「築城の教科書」「戦国期城郭の最高傑作のひとつ」と称されている。
お城ニュース ※外部リンク
2026年4月1日
史跡杉山城跡保存活用計画を公開します
杉山城の見どころ

屏風折れの横堀

馬出と土橋

井戸跡

三の郭虎口

東二の郭土塁

東二の郭 土橋と虎口

本郭虎口

大手虎口
杉山城カルテ
■攻略のレーダーチャート(ポイント)
■ポイント
- 曲輪・空堀など山一帯の遺構が良好に残っているので見どころが満載
- 木も伐採されているので綺麗に整備されている。麓には駐車場やトイレもある
- 城跡自体は割とコンパクト
平均:67/100 ポイント
合計:400/600 ポイント
おススメ度:★★★★★★
■見どころバロメーター
■埼玉県 主要城郭との比較(ポイント)
※全ての城にそれぞれの魅力があります。当サイト独自のデータになります。

写真でめぐる お城ツアー
名城スタンプと御城印
※スタンプ設置場所や御城印販売所の場所、営業時間は最新情報をご確認ください。
続日本100名城スタンプ設置場所
・嵐山町役場庁舎・玄関ホール
設置時間:8時30分~17時15分 (年中無休)
御城印販売
・嵐山町ステーションプラザ嵐なび
営業時間:9時~16時45分

杉山城 周辺天気
| 別名 | 初雁城 |
|---|---|
| 城郭構造 | 山城 |
| 天守構造 | なし |
| 築城主 | 山内上杉氏 |
| 遺構 | 曲輪、空堀、土塁、井戸 |
| 指定文化財 | 国の史跡 |
写真で見る杉山城
マップ
アクセス
■公共交通機関
・東武東上線・武蔵嵐山駅から徒歩で約2.9km (約40分)
・東武東上線・小川町駅発 小川パークヒル線「小川パークヒル」から約1.5km (約20分)
・東武東上線・武蔵嵐山駅から自転車で約15分
■自動車・バイク
・関越自動車道・嵐山小川ICから 約2.6km (約5分)
■駐車場
・無料専用駐車場あり

MEMO
公共交通機関を利用する場合は、雨が降っていなければ武蔵嵐山駅にある観光ステーション嵐なびでレンタサイクルがあるので、続日本100名城の杉山城と菅谷館をセットで攻略できます!
杉山城の歴史
杉山城はこれまで高度な築城技術から「後北条氏の城」と して広く認識されていましたが、学術的な裏づけはありませんでした。そこで嵐山町では平成14年度から18年度にかけて5回の学術発掘調査を実施。
その結果、城跡の年代が15世紀末から16世紀前半であり、後北条氏の時代ではなく、それ以前の関東覇権をめぐる山内・扇谷両上杉氏と古河公方による三つ巴の抗争が繰り広げられていたなかで、山内上杉氏によって造られた城であったことがわかりました。
こうした学術的な成果により、杉山城跡が高度な築城技術の特徴をもち、良好な保存状態で当時の政治・軍事の様相を良く示していることが高く評価され、「比企城館跡群」のひとつとして平成20年に国史跡に指定されました。
史跡指定
2008年(平成20年)3月28日、すでに国の史跡に指定されていた菅谷館跡(嵐山町)に、松山城跡(吉見町)、小倉城跡(ときがわ町・嵐山町・小川町)とともに杉山城が追加指定され、「比企城館跡群」の名称で一括して国の史跡に指定された。
発掘調査
基本的には曲輪とそれに伴う堀や土塁のほか井戸跡の遺構が確認されている。
2002年(平成14年)〜2006年(平成18年)にわたってトレンチを用いた範囲確認調査が5次にわたって行われ、遺構面は1面のみで時期差をうかがわせる層位は確認されなかった。
本郭で、土塁及びそれに伴う溝、本郭の東虎口に平坦な石を用いて石列がつくられていた。東虎口から郭内へは「ハ」の字状に広がる構造になっていて、幅1.8mの石積みが確認された。石積みは43cmの高さで残っていた。東虎口の西側には石積みを崩したことによって発生したと考えられる礫が多量に検出された。本郭から南側へ「コ」の字状に張り出した先に西向きに南虎口があって、石列が確認された。挽き橋が西方向に井戸郭へ向かって架けられていたと考えられる。
本郭南虎口の対岸にあたる井戸郭の東側部分には8m×6mの長方形で、周囲との比高差1.2mの台状遺構が確認された。東側の堀に平行に柵ないし柱の跡と思われる穴(ピット)が検出されている。
南2の郭では、南虎口に関連する施設(柵ないし柱か)の跡と思われる穴(ピット)が2基確認されている。建物跡は確認されなかった。
南3の郭でも建物跡は発見されなかった。部分的であるが石敷き状に礫が敷き詰められている状況が確認された。

MEMO
まだ謎多き城で築城年代や廃城年代は正確には分かっていません。未整備エリアの林の中にも空堀や土塁を確認することができます。今後、新たな発見があるかもしれません。
杉山城 周辺スポット
向徳寺
時宗寺院の向徳寺は、大福山無量院と号します。向徳寺は、清阿(宝治2年1248年寂)が開山、その後廃寺となったものの、江戸時代の慶安2年(1649)に幕府より寺領10石の御朱印状を受領、向阿徳音(天和2年1682年寂)が中興したといいます。
大蔵神社
木曽義仲の父・源義賢が秩父重隆の娘をめとり、移り住んだ館跡とされます。東西220m、南北170mの範囲が館跡となっています。周囲を堀と土塁で覆われていますが、このような現在の姿は戦国時代のもので、義賢がいた時代のものではないことが発掘調査によってわかっています。
杉山城 周辺宿泊施設

杉山城 攻城の拠点
埼玉県の城を攻める

























