鶴ヶ岡城【続日本100名城】

鶴ヶ岡城は江戸時代は庄内藩の藩庁となった城で、直江兼続、最上義光、酒井忠勝といった名だたる武将と関りがある。

もともとこの地に最初に城が築かれたのは鎌倉時代初期で、当時は大宝寺城と呼ばれていた。鶴ヶ岡城と改名されたのは1603年(慶長8年)、最上時代になる。その後「最上騒動」により改易となったため、譜代大名の酒井忠勝が出羽庄内藩の初代藩主として入り、幕末まで酒井氏が城主を務めた。

現在、本丸・二の丸跡周辺は「鶴岡公園」として整備されており、桜の名所として日本さくら名所100選に選ばれている。また、三の丸跡に残る酒井家御用屋敷跡庭園は酒井氏庭園として1976年(昭和51年)に国の名勝に指定されたほか、公園の南東に残る藩校「致道館」は東北地方に唯一現存する藩校として国の史跡に指定されている。

鶴ヶ岡城の見どころ

歴史ポイント

徳川四天王のひとり酒井忠次の嫡流である酒井忠勝が初代藩主を務めた庄内藩。
酒井忠次は生涯家康に仕え、数々の勲功を上げています。家康ばかりでなく、代々の将軍から信頼の厚かった庄内藩。東北地方では親藩である会津藩と共に譜代の重鎮となり、江戸時代を通して幕府を支えました。
1840年、酒井氏は越後長岡藩に領地替えが決定。しかし領民達の反対運動により、酒井氏は幕末まで廃藩置県まで12代・約250年に亘って庄内を治めました。

歴史ポイント

庄内藩が現代に至るまで最強と評されているのは幕末に起きた戊辰戦争における数々の戦闘に起因しています。
東北諸藩を中心とした旧幕府軍の奥羽越列藩同盟と新政府軍は明治の戊辰戦争で激しい戦いが繰り広げられました。
最新鋭の武器で北上してくる新政府軍に、列藩同盟は敗戦を繰り返しました。
しかし、対照的に庄内藩は負け知らずで連戦連勝。領内に新政府軍を一歩も足を踏み入れさせませんでした。
庄内藩の戦いは仙台藩や米沢藩、会津藩の降伏によって終焉。戦後処理を担当した西郷隆盛の配慮もあって、5万石が減封されたにすぎませんでした。

遺構ポイント

明治の廃城例で1876年に城内の全建築物の破却、大部分の土塁の取り壊し、堀の埋め立てが行われ、新たに一般開放の鶴岡公園となりました。翌年に住民が酒井家の善政を追慕し、鶴岡公園内の本丸跡に藩祖を祀る荘内神社が住民により建立されました。
現在は水堀と土塁が残るのみで、城の遺構としては少ないのが現状です。
しかし、城の近くの致道博物館には酒井家の江戸にあった中屋敷が移築されており、藩校の致道館なども残っている。

本丸跡

本丸内北門跡

水堀と土塁

荘内神社

鶴ヶ岡城カルテ

■攻略のレーダーチャート(ポイント)

■ポイント

  • JR山形新幹線が停車する山形駅から近いのでアクセス良好
  • 遺構は土塁と石垣、空堀。城門などが復元されているので整備ポイントは高い。
  • 全国屈指の巨大城郭で、市街地化が進んだものの、本丸と二ノ丸だけでもかなり広い範囲が残ってる。

平均:58/100 ポイント
合計:345/600 ポイント
おススメ度:★★★☆☆☆

■見どころバロメーター

■山形県 主要城郭との比較(ポイント)

※全ての城にそれぞれの魅力があります。当サイト独自のデータになります。

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名城スタンプと御城印

※スタンプ設置場所や営業時間は最新情報をご確認ください

続日本100名城スタンプ設置場所

■荘内神社 社務所
・時間:9:00〜17:00(社務所の受付時間に準じます)

御城印販売

■荘内神社 社務所
・時間:9:00〜17:00(社務所の受付時間に準じます)

鶴ヶ岡城 周辺の天気

別名大宝寺城、大梵寺城
城郭構造輪郭式平城
天守構造なし
築城主大泉氏(武藤氏)
築城年鎌倉時代初期
主な改修者直江兼続、最上義光、酒井忠勝
主な城主武藤氏、上杉家(大宝寺義勝、芋川正親、木戸元斎)、最上氏、酒井氏
廃城年1871年(明治4年)
遺構土塁、石垣、堀
藩校、庭園
指定文化財国の史跡(藩校)、国の名勝(三の丸庭園)

写真で見る鶴ヶ岡城

内堀
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内堀
本丸内北門跡
本丸跡
本丸 荘内神社
旧庄内藩御殿
致道館
水堀と土塁
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マップ

アクセス

■公共交通機関
・JR羽越本線・鶴岡駅から徒歩20分
・JR羽越本線・鶴岡駅から庄内交通バス「湯野浜温泉行き」(または「温海営業所行き」、「鶴岡市内廻り2コース」、「鶴岡市内廻り4コース」)に乗り「鶴岡市役所前」下車、徒歩3分

■車・バイク
・山形自動車道・鶴岡ICから10分

■駐車場
・鶴岡公園東駐車場:普通車・軽136台 / 大型車2台
・鶴岡公園西駐車場:55台
・鶴岡公園中央駐車場:59台
・鶴岡公園南駐車場:41台

鶴ヶ岡城について

城は鶴岡市街地のほぼ中心に位置する。江戸時代は庄内藩の藩庁であった。他の東北地方の城と同様に土塁を多用し、石垣は主要な部分にしか用いられていなかった。

また、天守は構えられなかったが、本丸東北隅に2層2階の隅櫓と二の丸南西隅にも2層2階の隅櫓が建てられていた。

現在、本丸・二の丸跡周辺は鶴岡公園となっており、桜の名所として日本さくら名所100選に選ばれている。鶴岡公園には荘内神社、稲荷神社や大宝館(郷土人物資料館)、藤沢周平記念館がある。

三の丸跡には致道博物館があって酒井家伝来の美術品などが展示されており、酒井家御用屋敷跡庭園が整備され国の名勝に指定されている。

鶴岡公園南東には藩校「致道館」が残っており、東北地方に唯一現存する藩校として国の史跡に指定されている。

鶴ヶ岡城の歴史

大宝寺城

鶴ヶ岡城の前身となる大宝寺城が最初に築かれたのは、鎌倉時代初期に出羽国大泉荘の地頭として封じられた大泉氏であると伝えられる。大泉氏はこの地に土着し、後に武藤大宝寺氏を名乗った。

室町時代初期になると武藤長盛なる武将が出てこの地に権勢を振るった。

戦国時代に入ると武藤氏は庄内地方の有力な勢力となったが、その地位は不安定であった。天文元年(1532年)には砂越氏維によって大宝寺城は焼亡し、当時の武藤大宝寺氏当主の晴時は本拠を大宝寺城の西にある尾浦城に移した。

そして大宝寺城はその支城の一つとなった。 その後、越後の上杉氏と手を組み、武藤氏は庄内地方の統一を果たし、武藤義氏の時代に最高潮に達した。しかし、義氏は天正11年(1583年)、最上義光と結んだ家臣の前森蔵人(東禅寺義長)とその弟・勝正らの謀反により自害に追い込まれた。

その後、庄内地方は上杉氏と最上氏の争奪の地となり期に乗じた上杉景勝によって、天正16年(1588年)あっけなく併呑された。

上杉氏もまた、尾浦城を庄内地方の本拠とし大宝寺城は支城とされた。天正18年(1590年)検地を行った際、これに抵抗した地侍を中心に一揆が起きた。この時、大宝寺城番芋川正親は城を守りきれず落城した。

一揆の鎮圧にあたった直江兼続は大宝寺城の修復を行い越後兵を常駐させた。

鶴ヶ岡城

慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いの後、上杉氏は西軍に加担した罪により会津120万石から米沢30万石に減封され、代わって庄内地方を支配したのは山形城を本城とする最上義光である。
義光は24万石から57万石を領有する大大名となった。義光は庄内地方の拠点として大宝寺城、東禅寺城、尾浦城などを整備拡張した。慶長8年(1603年)各城の整備が整うと、酒田浜に大亀が上がったことを祝し東禅寺城を亀ヶ崎城と改称した。

この時に、亀ヶ崎に対し大宝寺城も鶴ヶ岡城と改称されたのである。また同時に尾浦城も大山城と改称された。最上氏は3代義俊の元和8年(1622年)に、お家騒動(最上騒動)があり、改易となった。

旧最上領は分割され、庄内地方には信濃国松代城より譜代大名の酒井忠勝が入った。忠勝は鶴ヶ岡城を本城と定め、亀ヶ崎城を支城とした。
忠勝は入封すると、簡素な造りであった鶴ヶ岡城を近世城郭へと大改修に着手した。二の丸、三の丸を拡充し、城下町の整備を行った。庄内藩の本城としての偉容が完成したのは、3代忠義の時であり54年の歳月が費やされた。

本丸は一部に石垣が使用されたが大半が土塁であり、幅約20mの水堀に囲まれている。本丸内には御殿と北西隅の二重櫓が天守代用としてあり、他に単層2階の他門櫓が2基上がり本丸の城門は櫓門が上がっていた。
二の丸東南隅に2重櫓、二の丸の城門も全て櫓門であった。宝永元年(1704年)には、鬼門である東北隅に稲荷神社が勧進され、毎年の初午祭礼の際には町人も城内に入って参詣することができた。

文化2年(1805年)、9代忠徳は藩校「致道館」を設けた。文化13年(1816年)には現在地である三の丸に移転された。文政7年(1824年)、柿葺であった城内の建物は、全て瓦葺となった。

天保11年(1840年)幕府より三方所替の命が下り、酒井氏は越後国長岡城への移封を命じられた。しかし、幕府に対し領民の抵抗運動が起こり(天保義民事件)命令は取り下げられた。

慶応4年(1868年)1月より始まった戊辰戦争では奥羽越列藩同盟の一員として新政府軍を迎撃するも、 この間、7月13日には城が焼亡。その後も、寝返った久保田藩を相手に勝利を続けたが、会津藩ら他の味方が降伏したことで9月25日に降伏した。明治4年(1871年)廃藩置県により廃城となり、明治9年(1876年)には城内の建築物は全て破却され鶴岡公園となった。

鶴ヶ岡城 周辺スポット

致道博物館

致道博物館には旧庄内藩主御隠殿が、江戸の中屋敷の一部を北前船で移築されている。

その他、鶴岡市に残っていた歴史的建築物が移築されている。

致道館

酒井家九代目・忠徳公が創設した藩校。多数の建築物が残っており、国指定史跡として一般に公開。
藩校建築は、現存するものとしては東北地方唯一となる。

羽黒山 五重塔

羽黒山 五重塔は東北地方では最古の塔といわれ、平将門の創建と伝えられる。現在の塔は、約600年前に再建された。昭和41年には国宝に指定。近くには樹齢1000年、樹の周囲10mの巨杉“爺杉”がある。

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