戦国時代から里見氏によって再構築され、佐貫城と共に対北条氏の最前線を担ったとされています。
また、江戸時代には徳川の配下の武将たちが久留里藩の藩庁として再整備され、近世城郭として維持されました。
久留里城は明治5年に廃城となり城の建物は解体されましたが、昭和53年に天守閣が再建され、昭和54年には、二の丸跡地に博物館も完成しました。
お城ニュース ※外部リンク
2026年11月1日
第46回 生きた水の里 久留里城まつり
久留里城の見どころ

天守台

薬師曲輪跡

鶴の曲輪跡

お玉が池

堀切

天守
久留里城カルテ
■攻略のレーダーチャート(ポイント)
■ポイント
- 居館エリアと山城エリアがあり、山城エリアには堀切や天守台などの遺構が残る
- 北条氏との合戦の歴史があるので歴史ポイントは高い
- 駅からは離れているので、アクセスは難易度が高い
平均:70/100 ポイント
合計:420/600 ポイント
おススメ度:★★★★☆☆
■見どころバロメーター
■千葉県 主要城郭との比較(ポイント)
※全ての城にそれぞれの魅力があります。当サイト独自のデータになります。

写真でめぐる お城ツアー
久留里城の御城印
※スタンプ設置場所や御城印販売所の場所、営業時間は最新情報をご確認ください。
御城印販売
・森林体験交流センター
営業時間:9:00〜17:00(駐車場は16:30まで)
休館日:月曜日
・久留里観光交流センター
開館時間: 9:00〜17:00
休館日:月曜日

久留里城 周辺の天気
| 別名 | 雨城、霧降城、浦田城 |
|---|---|
| 城郭構造 | 連郭式山城 |
| 天守構造 | 2重(1724年築)(非現存) 独立式望楼型2重3階 (1979年 RC造模擬) |
| 築城主 | 武田信長 |
| 築城年 | 康正2年(1456年) |
| 主な改修者 | 里見義堯、黒田直純 |
| 主な城主 | 上総武田氏、里見氏、後北条氏、 大須賀忠政、土屋忠直、黒田氏 |
| 廃城年 | 明治5年(1872年) |
| 遺構 | 土塁、堀切、郭、土橋、井戸 |
| 指定文化財 | 未指定 |
| 再建造物 | 模擬天守 |
写真で見る久留里城
マップ
アクセス
■公共交通機関で久留里城に行く
・JR久留里線「久留里駅」徒歩35分
・バスターミナル東京八重洲より高速バス「アクシー号」で「久留里城三の丸跡」バス停下車
■車・バイクで久留里城に行く
・館山自動車道「木更津東IC」より15~20分程度
■駐車場
・無料駐車場130台あり
久留里城の構造
久留里城は現在本丸のある近世城郭部に加え、安住原地区、怒田遺跡および山麓小櫃川河畔の近世居館部の4つの郭群からなる。この内、江戸時代には近世城郭部と近世居館部のみが城域として維持されたが、安住原地区については真里谷氏時代の遺構であり、里見氏時代には既に放棄されていたと考えられている。ただし、安住原地区は里見氏時代も引き続き使用されたと考える向きも多い。
久留里城の遺構
山麓の近世居館部は一部の土塁を除き開発により消滅したが、車道で一部が削られたものの山上の遺構は比較的よく残り、天守台等の近世遺構に加え、堀切や削り残し土塁等の中世里見氏時代の遺構も見られる。また、山上は湧水が豊富で、男井戸・女井戸、お玉が池を始めとする、複数の水源が現在でも水を湛えている。
久留里城の歴史
古久留里城
平将門の三男頼胤が築城したという伝説もあるが定かではない。
上総武田氏の祖となった武田信長が康正元年(1455年)に上総国守護代に任ぜられ、翌康正2年(1456年)に築城したといわれるのが史実に基づく最初の築城である。 戦国時代には、武田氏が戦乱や内紛により弱体化した機に乗じて里見氏がこれを抑えた(里見成義がここを開城させたとも、里見義堯が武田一族であった前城主武田真勝に城を譲らせたともいう)。
久留里城
天文4年(1535年)里見義堯はこの地を本拠とし、改めて古久留里城(上の城)の下に新たに現在の城地に久留里城を築いた(ただし、年代に異説あり)。永禄7年(1564年)、北条軍の上総侵攻により城は一時陥落した。その後、再び里見氏が奪還した。
天正18年(1590年)豊臣秀吉による小田原征伐の際に、里見義康は私戦を禁じた惣無事令違反により、秀吉の不興を買い安房一国の領有はゆるされたが、上総の所領を没収された。この年に徳川家康が関東に入封し久留里城には松平(大須賀)忠政が3万石を与えられ入城した。忠政は城下町整備に尽力し後の基盤が出来上がった。
その後、江戸時代には久留里藩の藩庁となった。慶長6年(1601年)松平(大須賀)忠政が関ヶ原の戦いの功により3万石加増の上、遠江国横須賀城に転封となった。代わって土屋忠直が2万石で入城した。土屋氏は延宝7年(1679年)改易となり廃藩、一時廃城となった。寛保2年(1742年)上野国沼田城より譜代大名の黒田直純が3万石で入城し再び立藩した。黒田氏は明治維新まで居城し、明治5年(1872年)廃城令により久留里城の歴史は終わった。
昭和30年(1955年)に城郭跡地の国有地を借り受けて城山公園に整備を行った。昭和54年(1979年)には模擬天守が土壇の天守台脇にRC構造にて建造された。
江戸末期に実際に建っていたものは、現存する当時の文献や、礎石の配列状況からして2層2階であったと推定されているが、再建された天守は浜松城模擬天守をモデルとした2層3階であり、実際に建っていたものとは大幅に異なる。模擬天守内は展示物は全国に現存する天守閣のパネル展示くらいで、展望台として利用されている。
久留里城 周辺スポット
鹿野山九十九谷展望公園
近代日本の随筆家、大町桂月が「鹿野山(かのうざん)の九十九谷の眺めは天下の奇観なり」と絶賛したという景観は、高宕山(たかごやま)をはじめとする上総(かずさ)丘陵が幾重にも連なる山並みの風景。これら山谷の織り成す景観を総称して九十九谷と呼びます。
九十九谷展望公園から望む風光明媚な景観は、「房総の魅力500選」、「ちば眺望100景」、君津市の「20世紀遺産」に選定されています。
八重原
八重原歴史遺産を巡る遊歩道は南子安金井崎遺跡(八重原公民館)から三直の車地蔵(日輪寺)までの14ヵ所を巡る片道約4kmの歴史の道です。
九十九坊廃寺阯は、7世紀末の白鳳時代に建立された寺院といわれ、当時は周辺にも多くの建物があったと考えられています。そして九十九坊廃寺にあった鐘が戦国時代の里見・北条の戦いで兵火にかかり、池に沈んだという伝説の「鐘ケ淵」など魅力がたくさんです。
清水渓流広場
清水渓流広場(濃溝の滝・亀岩の洞窟)は、房総半島内陸部の笹川(小櫃川水系)上流に位置する自然公園です。
川廻しの洞窟から差し込む光が水面に反射し、ハート形を描き出す写真がSNSを中心に話題になったことから、千葉県を代表する観光スポットの1つになっています。
ハート形に見えるのは、3月9月のお彼岸の時期、早朝が良いとされています。
鋸山 日本寺
鋭い岩肌が連なる標高329mの鋸山は、その名の通り稜線がノコギリの歯のような形をしています。県指定の名勝として知られている鋸山の南斜面に日本寺はあります。
約1300年前、聖武天皇の勅詔を受けた行基菩薩によって、725年に開山された関東最古の勅願所です。日本最大の磨崖仏など、数多くの見どころが点在。なかでもスリル満点な山頂エリアの「地獄のぞき」は、房総半島や遠く富士山や三浦半島までの絶景が望めます。
久留里城 周辺宿泊施設

久留里城 攻城の拠点
千葉県の城を攻める



















