三重県
三重県は室町期には伊勢守護が世保家や一色家、伊賀守護は仁木家、また伊勢南半・伊賀名張郡から志摩にかけては、国司北畠家の勢力が存続しました。
戦国期には伊勢に北畠、長野、関などの所家が割拠、伊賀は服部党などの国人勢力、志摩は九鬼家の支配するところとなり、織田信長は1569年までに伊勢を、1581年に伊賀を支配下に置き、志摩の九鬼家を服属させました。
豊臣秀吉は伊賀を筒井定次に与え、伊勢には中小大名を配置しました。江戸期にはおもに家門・譜代大名が入封 。中期以降は、伊勢中部および伊賀に津藩(藤堂家)、伊勢北部に桑名藩(松平=奥平家→松平=久松家)・亀山藩(石川家)など5藩、志摩に鳥羽藩(稲垣家)が配置。
伊勢南部は紀伊藩領、また伊勢山田には山田奉行が置かれました。
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